さて、では少し真面目に考えてみるとします。
まず単純に非ゼロ和ゲーム化するにあたって、
かつての喧嘩サイトがたどったように”弁証法的やり取り”を志向するサロン的コミュニティを作るとどうなるでしょうか。
ユーザーには議論を深化させるための対話的姿勢が求められます。
それと同時にテーマに対して適切な意見を述べるための知識と論理性が求められます。
これを急進的に行うとどういう事が起こるかというと、上記が達成できないユーザーは残酷にも排除されます。
具体的にはそのユーザーの意見に対する反応がなくなります。
これでは全く面白くないのでユーザーはコミュニティを去ることになります。
こうしてコミュニティは維持されていきます。楽しそうですか?
実際、こういうサイトに書き込むのはゼロサムゲーム化した喧嘩サイト以上に心理的コストが高いです。
必然的にコミュニティは衰退していきます。
また、コミュニティの宿命として、
上記のような志向を標榜しているのにも関わらず、マウンティングを取ろうとするものが必ず現れます。
このような者が現れ、かつ排除されない状況になると、純粋に知的好奇心を満たそうとするユーザーは離れます。
あるいはそのような”良いユーザー”がマウンティングを取り合う土俵に引きずられる場合もあります。
悪意がウイルスのように蔓延して、もはや弁証法など何処吹く風の論破合戦に発展するでしょう。
喧嘩サイトは常にゼロサムゲームを繰り返しているという性質上、悪意あるものに対する耐性がとても強いですが、
その他の匿名ベースのコミュニティがこのように”荒れて”しまった場合、
自浄作用が働くことはなく運営が介入せざるをえません。
スケールが難しくなりますし、個人であればまずその対応を行う当人つまり管理人が”荒れる”でしょう。
このようなコミュニティは個人運営レベルではクローズドな場でしか成立し得ないことが分かります。