SNっぽい聖杯戦争こと第五次土夏聖杯戦争用のSSや怪文書などを投下する用途のスレッドです。 アーカイブとしての保存や、絡み後の後日談などにお使いください。
「………これは?」 目の前で湯気を立てる皿を前にして、セイバーはぱちくりと目を丸くした。 これは、と言われても。これが朝食以外の何に見えるというのだろう。 「朝飯だよ。腹減ったでしょ?成り行きとはいえ今日からこうして一緒に住むんだ。 用意するのは俺の分だけってわけには行かないよ」 「マスター、私たちはサーヴァント。食事や睡眠は本来必要ありません。 このようなものを用意してもらわずとも、魔力の供給さえ滞りなければ………」 と、はきはきと口にしたセイバーの視線が、ついと食卓の上の料理に移った。 炊きたてなのでぴかぴかと一粒一粒が輝く、真っ白な白米。 前の晩から漬けていたあご出汁が湯気に乗ってふんわりと香る、温かい味噌汁。 昨晩の夕飯の残りだがむしろ具材同士が馴染んで昨晩よりも味わい深い、芋の食感が楽しいポテトサラダ。 そしてメインディッシュは(慣れていないと大変だろうと思い)事前に骨を取りきった、加減よく火を通したアジの干物。 小鉢には俺が作ったぬか漬けもある。ごくりとセイバーの喉が動いたのが対面に座る俺にも見えた。 「………ひ、必要ありませんので、お気になさらず」 「もしかして食べられないとか?」 「いえ、そういうことはないのですが………」 「じゃあ、食べちゃってよ。せっかく用意したんだし、要らないと言われたらちょっと寂しい」 「………そう仰られるのであれば、承知しました」 半分渋々、半分おっかなびっくりといった様子でセイバーは頷いた。 箸の使い方も聖杯に伝授されていたのだろうか。器用に握ると、恐る恐るほぐされた魚の身をつまんで口に運ぶ。 咀嚼した瞬間、半信半疑といった色合いだった瞳がきらりと光った。 「―――………美味しい!こんなもの食べたことがない! もしやあなたは名うての料理人なのではないかテンカ!…………あ」 喜色満面で身を乗り出すようにして俺に言ったセイバーだが、途中でぴたりと表情が固まった。 まるですごすごと引き下がるかのように顔つきを頑ななものに戻していく。 そこには思わず見せてしまった素の表情を恥じ入るような、後悔の念が込められていた。 「………失礼しました。驚きのあまり、つい。結構なものをありがとうございますマスター」 「―――良かった」 「え?」 きょとんとしたセイバーを見て、俺は少しだけ安心した。 不意を突かれた結果ではあるのだろうが、ころころと表情を変えるセイバーは昨日よりも遥かに親しげなものに感じられたのだ。 「俺の作ったものを食べさせたのは流姉さんと棗以外だと、セイバーだけだから。 それを美味しいと言ってくれて、嬉しかった。ありがとう」 「―――それは………その。一時とはいえ我が主にそう言っていただけるのは、光栄です」 前の前のセイバーの頬へわずかに赤みが含まれたように思えた。行き場を失ったセイバーの視線が俺ではなく食卓の上の皿を行き来する。 「もし良かったらこれからも俺と一緒に食事を食べてくれないかな。 ほら………一応、一緒に暮らすんだしさ。一人分作るのも二人分作るのも大差はないから」 「………」 俺の誘いを受けてセイバーはわずかに迷ったようだった。しかしそう時間をおかず、今度は俺の目を見てはっきりと答えてくれる。 「………では、あなたがそれで良いというのであれば、マスター。よろしくお願いします。 主として、従える私との関係性を重視してくれるというのは決して疎むべきことではない。喜ばしいことだ」 その時俺は初めて見た。 昨晩あんなことが無ければただの女の子としか思えないような、目の前の超常の騎士が微かに微笑むところを。 目の当たりにした瞬間どきりと心臓が弾むをごまかすように、俺は慌てて取り繕うように言った。 「じ、じゃあ冷めない内に食べちゃってくれ!せっかく作ったものだし、勿体ないからな!」 「はい。………そうか。この国ではその時このように振る舞うのだな。失礼しました。………いただきます、マスター」 箸を箸置きに置き、セイバーが瞳を伏せてぴたりと両手を目の前で合わせる。 その動作のひとつひとつがなんだかとても静謐なもののようで、俺はいちいちどぎまぎしてしまうのだった。
① 我が家から旧市街の街道を少し行くと花屋『クリノス=アマラントス』の軒先は見えてくる。 決して大きな店舗ではないが毎日欠かさず店頭に整然と草花が並べられている。 丁寧に手入れされた花々はいつ買っても瑞々しく、商品に店主の細やかな気遣いが感じられるような店だ。 今まさにその『クリノス=アマラントス』の店先で少女がバケツを手際よく洗っていた。 他でもない。その少女こそがこの花屋の女主人。若干18歳にして店長を務める女傑であり、そして学園での先輩である。 近寄ってくる気配に顔を上げた先輩は、俺の顔を見るなり並べられた花々にも負けないほど鮮やかな笑顔を見せた。 「いらっしゃい、十影くん。今日はどうしたの?新しい苗でも買いに来た?」 作業の手を止め、バックリボンワンピースのポケットから取り出したタオルで手を拭きながら先輩は朗らかに接客を始めた。 栗野百合は俺のひとつ上の学年、つまり高校3年生の少女であり、いわゆる学園のアイドル的存在である。 何代か前に西洋の血が混ざったとかで、東洋人離れした容姿は言うまでもなく眉目秀麗。 学業もピカイチ。同年代の学生たちが子供っぽく見えるほどお淑やかだが、同時にきちんと洒落も分かる。 人となりまでそんなふうに明朗快活とされたらもう欠点なんて見当たらない。故に男子生徒の間では高嶺の花というやつだった。 ただ、俺の場合は少し事情が異なる。確かに学内では栗野先輩は殿上人なのだが、学外では彼女とは『店主』と『常連客』という関係なのだった。 「いえ。今日はいつものです。お願いできますか」 「はいはい。いつものね。ちょっと待ってて、今見繕うから」 先輩はそう言って切り花のコーナーへ向かい、水受けから束で抜き取るとてきぱきと包装紙に包みだす。 全国各地、どこの仏間にも供えられている供花。樒である。 俺が樒を買うのは決まってここだった。あまり深い理由はない。うちを出て新都へ向かおうとすればまず間違いなくこの店の前を通るからだ。 うちの温室で育てている草花の種や苗もこの店から買うことが多いのだが、利用する回数はやはり供花を求めてのことが多かった。 代金を支払おうと財布を開いていると、包装紙を縛る紐に何か紙片が挟まっているのが目に映った。 「先輩、それ」 「ああ、これ?昨日うちで作った押し花の栞。効能は魔除け、たぶんね。せっかくだからおまけで付けたげるね」 「商品でしょう?悪いですよ、そんなの。なんだっておまけしてくれるんです」 困惑気味に答えながら俺が渡した小銭を受け取り、先輩は悪戯が成功した子供のように「くふ」と笑って言った。 「トカゲくんが可愛いからかなぁ。だから仕方ことなんだよね。いいから貰っちゃって?」 「………はぁ。まぁ、それじゃ………どうも。あとトカゲじゃなくてトエイです」 「知ってるよー。はい、お代いただきました。毎度ありがとね、十影くん」 ………これだ。学内では品行方正というスタンスなのに、この店前だと俺をすぐからかってくる。よく分からない人だ。 本当に、学内ではほぼ接点など無いのだけれど。釈然としない気持ちを抱えつつ、俺は先輩に見送られて再び街道を歩き出す。 包装紙に挟まっていた栞は抜き取って胸ポケットに仕舞った。先輩が魔除けというんだから多少は厄を祓ってくれるかもしれない。
② 「………よし、こんなものか」 墓石についた水滴をしっかりと布巾で拭い、俺は額に浮かんだ玉の汗を拭った。 もう7月。こうして陽の光を浴びながら外で作業をしていればすっかり汗だくだ。帰ったらいの一番にシャワーを浴びよう。 ふと涼風が吹き抜け、俺はその風の行方を追うようにして後ろへ振り返った。 都立土夏霊園は新都の山の手にある。流姉さんが務めている土夏総合病院よりも更に高いところだ。 登ってくるのはやや骨だが、お陰でここからは土夏市とその向こうに広がる大洋を一望できる。8月の花火大会もここからならよく見えるくらいなのだ。 きっとこの墓地に眠る人々もこんなロケーションならそう悪い気分ではないと信じたい。それは目の前の墓に眠る彼らも例外ではない。 再び俺は墓前へ向き直った。刻まれている名前は『十影典世』と『十影静留』。 写真でしか顔を知らない俺の両親だった。 墓石の下の遺骨は静留―――母さんの分しかない。典世―――父さんは18年前の大火災で被災して遺体は行方不明なのだそうだ。 この霊園にはそうしたように土夏市大火災の犠牲者が数多く眠っている。 このあたりの一角は当時急造されたスペースだから、周囲のほとんどは大火災に関係する故人たちだろう。 汚れた布巾や樒の長さを整えるための鉄鋏、抜いた雑草を入れたゴミ袋などを手早くリュックサックへ片付ける。 ここの管理者は丁寧な仕事をする人で、誰も訪れずとも霊園の墓ひとつひとつの手入れを欠かさない好人物だが、だからといって俺は頼り切る気にはなれなかった。 だって、俺以外にこの墓へ訪れる人は誰もいないのだ。こうして定期的に参りにくることは俺にとって数少ない両親との接点だった。 「………」 線香も既に焚き、後は帰るだけという段階でありながら、俺は墓の前へとしゃがみ込む。 日光で熱せられた墓石は触れれば火にかけたフライパンのように熱いが、それでも俺は両親の名前が刻まれた御影石を掌で撫でた。 ふたりは何も言ってくれない。ひどく冷たい手触りがした。 それが何の意味もない行為と知っていながら、こうしてここにやってくるといつも俺はつい長居をしてしまう。 「………俺は、あなたたちの命を奪ってでも生まれ落ちる意味のある命だったのかな………」 俺の生命には高い価値がない。負債ばかりがいくらでも積み重なっていく。 何度も名前も知らない他人に救われてきた。病院のベッドの上で、ただ寝転がっているだけで簡単に消えかける軽々しすぎる命。 誰かに死にものぐるいで淵から引き摺りあげてもらえなければ、俺は今日まで生きてくることすら難しかった。 手始めに両親の命を奪い、その上で数多の懸命な献身がなければ呼吸もままならないとは、なんて罪深い生物なのだろう。 返せないほどの借りを作り続けるマイナスの半生にあって、多少プラスを積み重ねたところで何になるというんだ。 まずはマイナスを無くすところからと流姉さんの反対を押し切り、容態が多少良くなった中学1年の時両親が住んでいた洋館で一人暮らしを初めて、はや5年。 その間、自分をどうにか保つことに精一杯で何ら借りを返せている気がしない。 病床の上でちょっとしたことですぐ死に瀕していた頃と一体何が変えられただろう。 早く独り立ちしたいけれど、今のこの状態では自分のことを自分で面倒を見た上で誰かのためにあることが出来る人間になるなんて夢のまた夢だった。 「分からないよ。どうすれば俺はあなたたちに報いることが出来るんだ。 ………俺にどんな生き方が出来るっていうんだ。………俺には分からないよ」 じりじりと照りつける太陽。山の中から響いてくる鳥の鳴き声。墓石に触れた手へわずかに力が籠もる。 身動ぎでかさりと音がしたのは、胸ポケットに入れたまま忘れていた押し花の栞だった。
思った以上に殺風景な部屋だな、と真っ先にセイバーは思った。 館の拵えは美しく、隅々まで清掃は行き届き、温室に満ちる花々は艶やかで。 それら全てを典河が管理しているというのに、素の彼自身が表現されるだろう典河の自室には驚くほど私物が少ない。 ベッド。机。おそらく学業に関する書籍が納められた小さな本棚。 他にはなにもない。典河の人となりを示しそうなものは、何も。 まるで死期を迎えた人間が身辺整理をした後のような希薄な部屋だと、ふと直感的に感じた。 「あの………セイバー?一応用意したけど………本当にここで寝るのか?」 渋々と言った調子で話しかけられ、セイバーはそちらに意識を移した。 就寝用の簡素な服装に着替えた典河が戸惑いの感情を顔に浮かべながらこちらを見ている。 「はい。本来ならば眠る必要もないのですが、この部屋で私が起きたまま見張っているのが居心地悪いというのならば仕方ない。 睡眠を取ることでこの霊基の消耗が防げるというのも間違ってはいないことですし、妥協しましょう」 「………他の部屋で寝るというのは妥協できないところなんだね………。 分かったよ。押し問答してたら朝が来ちまいそうだ。じゃ、こっちを使ってくれ」 部屋の電気を消すと、ベッドの横に敷かれたマットレスの上へ典河は横たわろうとする。 セイバーの眉がぴくりと動いた。 「お待ち下さい。何故あなたがそちらを使うのです? 主はあなた、仕えるのは私だ。本来の寝台を使うのがあなたであるべきというのは論を俟たないことでしょう」 「何言ってるんだ。いくらサーヴァントだなんだと言われてもセイバーは女の子だ。 硬いマットレスなんて使わせられないよ。遠慮しなくていいからそっちを使ってくれ」 「女の子………っ、またあなたはそう言って!」 「あ、匂いとか気になるならシーツとか全部替えたから、安心して」 「そういう意味ではない!」 ぷりぷりと言葉を荒げるセイバーへ典河はマットレスの上に腰を下ろしながら困った顔をした。 正確には照明の落ちた部屋では典河はセイバーの顔は見えなかったが、夜目の利くセイバーにはその表情がはっきりと読み取れた。 「頼むよ。ここはマスターとサーヴァントじゃなくて家主の願いだと思ってくれ。 ここに泊まるって人に不便をさせたら、逆にこっちが遠慮してしまうんだ。それとも俺を守るのにこの配置は不合理なのか?」 「む………確かに、家主の言葉とあれば来客を出来る限り饗すのは道理。 そして眠るのが上だろうと下だろうと支障はありません。………分かりました。あなたがそこまで言うのであれば」 釈然としない思いを抱えながらも、セイバーはようやくといった様子でマットレスに転がる主を跨がないようにしてベッドへと移動する。 腰を下ろすと適度な反発力でセイバーの体重を分散させた。生前に横たわった寝台とは掛け離れた心地よさに、ほうと溜息が出た。 「………じゃ、おやすみ。セイバー」 「………はい。おやすみなさい、マスター」 7月ともなるとさすがに布団では暑苦しく、微かに冷房の効いた部屋でタオルケットに包まって典河は横になる。 その横顔をセイバーはまだ横たわらずにベッドに腰掛けたまま暫し見つめた。 美しい少年だ。ともすれば少女に見紛うほど。かつての同胞たちもその容姿端麗ぶりを吟遊詩人たちに詠われたものだが、それに負けず劣らない。 しかしその整った顔立ちが儚さとして感じられてなおさらセイバーの胸中を騒がせるのだった。 『マスター!!あなたは何をやっているんだ!!あのまま死ぬつもりだったのか!?』 マスターに向けて思わず叫んだ言葉を反芻する。まだ召喚されて数日と経っていないのに凄まじい勢いで事態は変転した。 突然敵前へと身を曝け出したマスターを見たときの感情は筆舌に尽くしがたい。 当然怒りもあるが………何が彼をそこまで突き動かすのかという疑問もふつふつと湧く。 もしそれが、彼の中で自分の命の保全よりも己の存在の保護に優先事項の比重が上回っていたのならば。 それはなんて、希い命―――……… 「………俺、こんなふうに誰かと並んで一緒に眠るの、久しぶりだ」 ぽつりと典河の薄い唇が暗闇の中でそう告げる。 セイバーはややあってから、こう答えた。 「ええ。私もです」
① ひどく古びた様子の部屋だった。元は………何の部屋だったのだろう。 置いてあるというよりは放置されているという風の棚たちにより辛うじてかつて何かの商店だったのは分かる。 それとこうして部屋の真ん中で立った姿でいるのに2本の足で自重を支えている感覚がない。 操り人形にでもなったように身体が吊り下げられているみたいだ。 くらくらする頭をなんとか回して空中に浮いている右腕を見ると、腕へ無数にか細い糸が絡みついているのが見えた。 腕を動かして断ち切ろうとするが、見た目の頼りなさに反してまるでワイヤーのようにびくともしない。 こうなっている原因は判断つかないが、自分の置かれている現状はようやく知ることが出来た。 体中を釣り糸みたいな細い糸で縛り上げられて、どこか知らない部屋に拘束されている。 ―――まるで蜘蛛の巣にかかった獲物のように。 「ああ、だめだめ。あんまり無理に動くと身体が千切れちゃうよ。 まあ………まだしばらくは私の毒で満足に動けないだろうけどさ。ディオニュソスと飲み比べしたみたいでしょ?」 俺に声がかけられたのはそこまで合点がいった時だった。 かつ、かつ。わざとゆっくり歩いているかのような歩調で後ろから足音が響いてくる。 ぞくりと背筋に悪寒が走った。深夜のラジオから響いてくる女性DJみたいな、べったりと甘ったるい声音。 でも親愛のような感情はその中に一切ない。鈍い思考でも敵だと即座に確信出来た。 やがて、声の主は俺の右側面から持ち上げられている俺の腕を潜るようにして俺の前に姿を表した。 「………あな、たは………―――」 「不用心だなぁ。あんなところをひとりで歩いているからこういうことになるのさ。 もっとも、君程度のレベルの魔術師なら自分の陣地にいようが造作もなかったけれどね」 声の主の顔は、声音と同じように甘い微笑みで彩られていた。 窓から差し込む月光が彼女の豊かな髪を照らしていた。青………というよりは紫。菫色とでも言うべきか。 彼女が羽織っている修道士のようなローブへその長い髪が滝のように滑り落ちている。 穏やかに三日月を描く唇は潤いに富んでいてひどく蠱惑的だ。あの甘い声が発せられている口と言われても頷けた。 その髪と顔立ちでも美しい女性だったが、こうして間近でその顔を見ると最も印象的なのはやはりその瞳だった。 ルビーを削り出したかのように爛々と輝く真っ赤な虹彩が、怪しい光を湛えて俺を品定めしている。 それで思い出した。2日前、雨が降る中ですれ違ったフード姿。一瞬だけ交錯し合った視線。 あの時はレインコートだと思っていたけれど、あれはそうではなくて………。
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「………これは?」
目の前で湯気を立てる皿を前にして、セイバーはぱちくりと目を丸くした。
これは、と言われても。これが朝食以外の何に見えるというのだろう。
「朝飯だよ。腹減ったでしょ?成り行きとはいえ今日からこうして一緒に住むんだ。
用意するのは俺の分だけってわけには行かないよ」
「マスター、私たちはサーヴァント。食事や睡眠は本来必要ありません。
このようなものを用意してもらわずとも、魔力の供給さえ滞りなければ………」
と、はきはきと口にしたセイバーの視線が、ついと食卓の上の料理に移った。
炊きたてなのでぴかぴかと一粒一粒が輝く、真っ白な白米。
前の晩から漬けていたあご出汁が湯気に乗ってふんわりと香る、温かい味噌汁。
昨晩の夕飯の残りだがむしろ具材同士が馴染んで昨晩よりも味わい深い、芋の食感が楽しいポテトサラダ。
そしてメインディッシュは(慣れていないと大変だろうと思い)事前に骨を取りきった、加減よく火を通したアジの干物。
小鉢には俺が作ったぬか漬けもある。ごくりとセイバーの喉が動いたのが対面に座る俺にも見えた。
「………ひ、必要ありませんので、お気になさらず」
「もしかして食べられないとか?」
「いえ、そういうことはないのですが………」
「じゃあ、食べちゃってよ。せっかく用意したんだし、要らないと言われたらちょっと寂しい」
「………そう仰られるのであれば、承知しました」
半分渋々、半分おっかなびっくりといった様子でセイバーは頷いた。
箸の使い方も聖杯に伝授されていたのだろうか。器用に握ると、恐る恐るほぐされた魚の身をつまんで口に運ぶ。
咀嚼した瞬間、半信半疑といった色合いだった瞳がきらりと光った。
「―――………美味しい!こんなもの食べたことがない!
もしやあなたは名うての料理人なのではないかテンカ!…………あ」
喜色満面で身を乗り出すようにして俺に言ったセイバーだが、途中でぴたりと表情が固まった。
まるですごすごと引き下がるかのように顔つきを頑ななものに戻していく。
そこには思わず見せてしまった素の表情を恥じ入るような、後悔の念が込められていた。
「………失礼しました。驚きのあまり、つい。結構なものをありがとうございますマスター」
「―――良かった」
「え?」
きょとんとしたセイバーを見て、俺は少しだけ安心した。
不意を突かれた結果ではあるのだろうが、ころころと表情を変えるセイバーは昨日よりも遥かに親しげなものに感じられたのだ。
「俺の作ったものを食べさせたのは流姉さんと棗以外だと、セイバーだけだから。
それを美味しいと言ってくれて、嬉しかった。ありがとう」
「―――それは………その。一時とはいえ我が主にそう言っていただけるのは、光栄です」
前の前のセイバーの頬へわずかに赤みが含まれたように思えた。行き場を失ったセイバーの視線が俺ではなく食卓の上の皿を行き来する。
「もし良かったらこれからも俺と一緒に食事を食べてくれないかな。
ほら………一応、一緒に暮らすんだしさ。一人分作るのも二人分作るのも大差はないから」
「………」
俺の誘いを受けてセイバーはわずかに迷ったようだった。しかしそう時間をおかず、今度は俺の目を見てはっきりと答えてくれる。
「………では、あなたがそれで良いというのであれば、マスター。よろしくお願いします。
主として、従える私との関係性を重視してくれるというのは決して疎むべきことではない。喜ばしいことだ」
その時俺は初めて見た。
昨晩あんなことが無ければただの女の子としか思えないような、目の前の超常の騎士が微かに微笑むところを。
目の当たりにした瞬間どきりと心臓が弾むをごまかすように、俺は慌てて取り繕うように言った。
「じ、じゃあ冷めない内に食べちゃってくれ!せっかく作ったものだし、勿体ないからな!」
「はい。………そうか。この国ではその時このように振る舞うのだな。失礼しました。………いただきます、マスター」
箸を箸置きに置き、セイバーが瞳を伏せてぴたりと両手を目の前で合わせる。
その動作のひとつひとつがなんだかとても静謐なもののようで、俺はいちいちどぎまぎしてしまうのだった。
①
我が家から旧市街の街道を少し行くと花屋『クリノス=アマラントス』の軒先は見えてくる。
決して大きな店舗ではないが毎日欠かさず店頭に整然と草花が並べられている。
丁寧に手入れされた花々はいつ買っても瑞々しく、商品に店主の細やかな気遣いが感じられるような店だ。
今まさにその『クリノス=アマラントス』の店先で少女がバケツを手際よく洗っていた。
他でもない。その少女こそがこの花屋の女主人。若干18歳にして店長を務める女傑であり、そして学園での先輩である。
近寄ってくる気配に顔を上げた先輩は、俺の顔を見るなり並べられた花々にも負けないほど鮮やかな笑顔を見せた。
「いらっしゃい、十影くん。今日はどうしたの?新しい苗でも買いに来た?」
作業の手を止め、バックリボンワンピースのポケットから取り出したタオルで手を拭きながら先輩は朗らかに接客を始めた。
栗野百合は俺のひとつ上の学年、つまり高校3年生の少女であり、いわゆる学園のアイドル的存在である。
何代か前に西洋の血が混ざったとかで、東洋人離れした容姿は言うまでもなく眉目秀麗。
学業もピカイチ。同年代の学生たちが子供っぽく見えるほどお淑やかだが、同時にきちんと洒落も分かる。
人となりまでそんなふうに明朗快活とされたらもう欠点なんて見当たらない。故に男子生徒の間では高嶺の花というやつだった。
ただ、俺の場合は少し事情が異なる。確かに学内では栗野先輩は殿上人なのだが、学外では彼女とは『店主』と『常連客』という関係なのだった。
「いえ。今日はいつものです。お願いできますか」
「はいはい。いつものね。ちょっと待ってて、今見繕うから」
先輩はそう言って切り花のコーナーへ向かい、水受けから束で抜き取るとてきぱきと包装紙に包みだす。
全国各地、どこの仏間にも供えられている供花。樒である。
俺が樒を買うのは決まってここだった。あまり深い理由はない。うちを出て新都へ向かおうとすればまず間違いなくこの店の前を通るからだ。
うちの温室で育てている草花の種や苗もこの店から買うことが多いのだが、利用する回数はやはり供花を求めてのことが多かった。
代金を支払おうと財布を開いていると、包装紙を縛る紐に何か紙片が挟まっているのが目に映った。
「先輩、それ」
「ああ、これ?昨日うちで作った押し花の栞。効能は魔除け、たぶんね。せっかくだからおまけで付けたげるね」
「商品でしょう?悪いですよ、そんなの。なんだっておまけしてくれるんです」
困惑気味に答えながら俺が渡した小銭を受け取り、先輩は悪戯が成功した子供のように「くふ」と笑って言った。
「トカゲくんが可愛いからかなぁ。だから仕方ことなんだよね。いいから貰っちゃって?」
「………はぁ。まぁ、それじゃ………どうも。あとトカゲじゃなくてトエイです」
「知ってるよー。はい、お代いただきました。毎度ありがとね、十影くん」
………これだ。学内では品行方正というスタンスなのに、この店前だと俺をすぐからかってくる。よく分からない人だ。
本当に、学内ではほぼ接点など無いのだけれど。釈然としない気持ちを抱えつつ、俺は先輩に見送られて再び街道を歩き出す。
包装紙に挟まっていた栞は抜き取って胸ポケットに仕舞った。先輩が魔除けというんだから多少は厄を祓ってくれるかもしれない。
②
「………よし、こんなものか」
墓石についた水滴をしっかりと布巾で拭い、俺は額に浮かんだ玉の汗を拭った。
もう7月。こうして陽の光を浴びながら外で作業をしていればすっかり汗だくだ。帰ったらいの一番にシャワーを浴びよう。
ふと涼風が吹き抜け、俺はその風の行方を追うようにして後ろへ振り返った。
都立土夏霊園は新都の山の手にある。流姉さんが務めている土夏総合病院よりも更に高いところだ。
登ってくるのはやや骨だが、お陰でここからは土夏市とその向こうに広がる大洋を一望できる。8月の花火大会もここからならよく見えるくらいなのだ。
きっとこの墓地に眠る人々もこんなロケーションならそう悪い気分ではないと信じたい。それは目の前の墓に眠る彼らも例外ではない。
再び俺は墓前へ向き直った。刻まれている名前は『十影典世』と『十影静留』。
写真でしか顔を知らない俺の両親だった。
墓石の下の遺骨は静留―――母さんの分しかない。典世―――父さんは18年前の大火災で被災して遺体は行方不明なのだそうだ。
この霊園にはそうしたように土夏市大火災の犠牲者が数多く眠っている。
このあたりの一角は当時急造されたスペースだから、周囲のほとんどは大火災に関係する故人たちだろう。
汚れた布巾や樒の長さを整えるための鉄鋏、抜いた雑草を入れたゴミ袋などを手早くリュックサックへ片付ける。
ここの管理者は丁寧な仕事をする人で、誰も訪れずとも霊園の墓ひとつひとつの手入れを欠かさない好人物だが、だからといって俺は頼り切る気にはなれなかった。
だって、俺以外にこの墓へ訪れる人は誰もいないのだ。こうして定期的に参りにくることは俺にとって数少ない両親との接点だった。
「………」
線香も既に焚き、後は帰るだけという段階でありながら、俺は墓の前へとしゃがみ込む。
日光で熱せられた墓石は触れれば火にかけたフライパンのように熱いが、それでも俺は両親の名前が刻まれた御影石を掌で撫でた。
ふたりは何も言ってくれない。ひどく冷たい手触りがした。
それが何の意味もない行為と知っていながら、こうしてここにやってくるといつも俺はつい長居をしてしまう。
「………俺は、あなたたちの命を奪ってでも生まれ落ちる意味のある命だったのかな………」
俺の生命には高い価値がない。負債ばかりがいくらでも積み重なっていく。
何度も名前も知らない他人に救われてきた。病院のベッドの上で、ただ寝転がっているだけで簡単に消えかける軽々しすぎる命。
誰かに死にものぐるいで淵から引き摺りあげてもらえなければ、俺は今日まで生きてくることすら難しかった。
手始めに両親の命を奪い、その上で数多の懸命な献身がなければ呼吸もままならないとは、なんて罪深い生物なのだろう。
返せないほどの借りを作り続けるマイナスの半生にあって、多少プラスを積み重ねたところで何になるというんだ。
まずはマイナスを無くすところからと流姉さんの反対を押し切り、容態が多少良くなった中学1年の時両親が住んでいた洋館で一人暮らしを初めて、はや5年。
その間、自分をどうにか保つことに精一杯で何ら借りを返せている気がしない。
病床の上でちょっとしたことですぐ死に瀕していた頃と一体何が変えられただろう。
早く独り立ちしたいけれど、今のこの状態では自分のことを自分で面倒を見た上で誰かのためにあることが出来る人間になるなんて夢のまた夢だった。
「分からないよ。どうすれば俺はあなたたちに報いることが出来るんだ。
………俺にどんな生き方が出来るっていうんだ。………俺には分からないよ」
じりじりと照りつける太陽。山の中から響いてくる鳥の鳴き声。墓石に触れた手へわずかに力が籠もる。
身動ぎでかさりと音がしたのは、胸ポケットに入れたまま忘れていた押し花の栞だった。
思った以上に殺風景な部屋だな、と真っ先にセイバーは思った。
館の拵えは美しく、隅々まで清掃は行き届き、温室に満ちる花々は艶やかで。
それら全てを典河が管理しているというのに、素の彼自身が表現されるだろう典河の自室には驚くほど私物が少ない。
ベッド。机。おそらく学業に関する書籍が納められた小さな本棚。
他にはなにもない。典河の人となりを示しそうなものは、何も。
まるで死期を迎えた人間が身辺整理をした後のような希薄な部屋だと、ふと直感的に感じた。
「あの………セイバー?一応用意したけど………本当にここで寝るのか?」
渋々と言った調子で話しかけられ、セイバーはそちらに意識を移した。
就寝用の簡素な服装に着替えた典河が戸惑いの感情を顔に浮かべながらこちらを見ている。
「はい。本来ならば眠る必要もないのですが、この部屋で私が起きたまま見張っているのが居心地悪いというのならば仕方ない。
睡眠を取ることでこの霊基の消耗が防げるというのも間違ってはいないことですし、妥協しましょう」
「………他の部屋で寝るというのは妥協できないところなんだね………。
分かったよ。押し問答してたら朝が来ちまいそうだ。じゃ、こっちを使ってくれ」
部屋の電気を消すと、ベッドの横に敷かれたマットレスの上へ典河は横たわろうとする。
セイバーの眉がぴくりと動いた。
「お待ち下さい。何故あなたがそちらを使うのです?
主はあなた、仕えるのは私だ。本来の寝台を使うのがあなたであるべきというのは論を俟たないことでしょう」
「何言ってるんだ。いくらサーヴァントだなんだと言われてもセイバーは女の子だ。
硬いマットレスなんて使わせられないよ。遠慮しなくていいからそっちを使ってくれ」
「女の子………っ、またあなたはそう言って!」
「あ、匂いとか気になるならシーツとか全部替えたから、安心して」
「そういう意味ではない!」
ぷりぷりと言葉を荒げるセイバーへ典河はマットレスの上に腰を下ろしながら困った顔をした。
正確には照明の落ちた部屋では典河はセイバーの顔は見えなかったが、夜目の利くセイバーにはその表情がはっきりと読み取れた。
「頼むよ。ここはマスターとサーヴァントじゃなくて家主の願いだと思ってくれ。
ここに泊まるって人に不便をさせたら、逆にこっちが遠慮してしまうんだ。それとも俺を守るのにこの配置は不合理なのか?」
「む………確かに、家主の言葉とあれば来客を出来る限り饗すのは道理。
そして眠るのが上だろうと下だろうと支障はありません。………分かりました。あなたがそこまで言うのであれば」
釈然としない思いを抱えながらも、セイバーはようやくといった様子でマットレスに転がる主を跨がないようにしてベッドへと移動する。
腰を下ろすと適度な反発力でセイバーの体重を分散させた。生前に横たわった寝台とは掛け離れた心地よさに、ほうと溜息が出た。
「………じゃ、おやすみ。セイバー」
「………はい。おやすみなさい、マスター」
7月ともなるとさすがに布団では暑苦しく、微かに冷房の効いた部屋でタオルケットに包まって典河は横になる。
その横顔をセイバーはまだ横たわらずにベッドに腰掛けたまま暫し見つめた。
美しい少年だ。ともすれば少女に見紛うほど。かつての同胞たちもその容姿端麗ぶりを吟遊詩人たちに詠われたものだが、それに負けず劣らない。
しかしその整った顔立ちが儚さとして感じられてなおさらセイバーの胸中を騒がせるのだった。
『マスター!!あなたは何をやっているんだ!!あのまま死ぬつもりだったのか!?』
マスターに向けて思わず叫んだ言葉を反芻する。まだ召喚されて数日と経っていないのに凄まじい勢いで事態は変転した。
突然敵前へと身を曝け出したマスターを見たときの感情は筆舌に尽くしがたい。
当然怒りもあるが………何が彼をそこまで突き動かすのかという疑問もふつふつと湧く。
もしそれが、彼の中で自分の命の保全よりも己の存在の保護に優先事項の比重が上回っていたのならば。
それはなんて、希い命―――………
「………俺、こんなふうに誰かと並んで一緒に眠るの、久しぶりだ」
ぽつりと典河の薄い唇が暗闇の中でそう告げる。
セイバーはややあってから、こう答えた。
「ええ。私もです」
①
ひどく古びた様子の部屋だった。元は………何の部屋だったのだろう。
置いてあるというよりは放置されているという風の棚たちにより辛うじてかつて何かの商店だったのは分かる。
それとこうして部屋の真ん中で立った姿でいるのに2本の足で自重を支えている感覚がない。
操り人形にでもなったように身体が吊り下げられているみたいだ。
くらくらする頭をなんとか回して空中に浮いている右腕を見ると、腕へ無数にか細い糸が絡みついているのが見えた。
腕を動かして断ち切ろうとするが、見た目の頼りなさに反してまるでワイヤーのようにびくともしない。
こうなっている原因は判断つかないが、自分の置かれている現状はようやく知ることが出来た。
体中を釣り糸みたいな細い糸で縛り上げられて、どこか知らない部屋に拘束されている。
―――まるで蜘蛛の巣にかかった獲物のように。
「ああ、だめだめ。あんまり無理に動くと身体が千切れちゃうよ。
まあ………まだしばらくは私の毒で満足に動けないだろうけどさ。ディオニュソスと飲み比べしたみたいでしょ?」
俺に声がかけられたのはそこまで合点がいった時だった。
かつ、かつ。わざとゆっくり歩いているかのような歩調で後ろから足音が響いてくる。
ぞくりと背筋に悪寒が走った。深夜のラジオから響いてくる女性DJみたいな、べったりと甘ったるい声音。
でも親愛のような感情はその中に一切ない。鈍い思考でも敵だと即座に確信出来た。
やがて、声の主は俺の右側面から持ち上げられている俺の腕を潜るようにして俺の前に姿を表した。
「………あな、たは………―――」
「不用心だなぁ。あんなところをひとりで歩いているからこういうことになるのさ。
もっとも、君程度のレベルの魔術師なら自分の陣地にいようが造作もなかったけれどね」
声の主の顔は、声音と同じように甘い微笑みで彩られていた。
窓から差し込む月光が彼女の豊かな髪を照らしていた。青………というよりは紫。菫色とでも言うべきか。
彼女が羽織っている修道士のようなローブへその長い髪が滝のように滑り落ちている。
穏やかに三日月を描く唇は潤いに富んでいてひどく蠱惑的だ。あの甘い声が発せられている口と言われても頷けた。
その髪と顔立ちでも美しい女性だったが、こうして間近でその顔を見ると最も印象的なのはやはりその瞳だった。
ルビーを削り出したかのように爛々と輝く真っ赤な虹彩が、怪しい光を湛えて俺を品定めしている。
それで思い出した。2日前、雨が降る中ですれ違ったフード姿。一瞬だけ交錯し合った視線。
あの時はレインコートだと思っていたけれど、あれはそうではなくて………。