①
我が家から旧市街の街道を少し行くと花屋『クリノス=アマラントス』の軒先は見えてくる。
決して大きな店舗ではないが毎日欠かさず店頭に整然と草花が並べられている。
丁寧に手入れされた花々はいつ買っても瑞々しく、商品に店主の細やかな気遣いが感じられるような店だ。
今まさにその『クリノス=アマラントス』の店先で少女がバケツを手際よく洗っていた。
他でもない。その少女こそがこの花屋の女主人。若干18歳にして店長を務める女傑であり、そして学園での先輩である。
近寄ってくる気配に顔を上げた先輩は、俺の顔を見るなり並べられた花々にも負けないほど鮮やかな笑顔を見せた。
「いらっしゃい、十影くん。今日はどうしたの?新しい苗でも買いに来た?」
作業の手を止め、バックリボンワンピースのポケットから取り出したタオルで手を拭きながら先輩は朗らかに接客を始めた。
栗野百合は俺のひとつ上の学年、つまり高校3年生の少女であり、いわゆる学園のアイドル的存在である。
何代か前に西洋の血が混ざったとかで、東洋人離れした容姿は言うまでもなく眉目秀麗。
学業もピカイチ。同年代の学生たちが子供っぽく見えるほどお淑やかだが、同時にきちんと洒落も分かる。
人となりまでそんなふうに明朗快活とされたらもう欠点なんて見当たらない。故に男子生徒の間では高嶺の花というやつだった。
ただ、俺の場合は少し事情が異なる。確かに学内では栗野先輩は殿上人なのだが、学外では彼女とは『店主』と『常連客』という関係なのだった。
「いえ。今日はいつものです。お願いできますか」
「はいはい。いつものね。ちょっと待ってて、今見繕うから」
先輩はそう言って切り花のコーナーへ向かい、水受けから束で抜き取るとてきぱきと包装紙に包みだす。
全国各地、どこの仏間にも供えられている供花。樒である。
俺が樒を買うのは決まってここだった。あまり深い理由はない。うちを出て新都へ向かおうとすればまず間違いなくこの店の前を通るからだ。
うちの温室で育てている草花の種や苗もこの店から買うことが多いのだが、利用する回数はやはり供花を求めてのことが多かった。
代金を支払おうと財布を開いていると、包装紙を縛る紐に何か紙片が挟まっているのが目に映った。
「先輩、それ」
「ああ、これ?昨日うちで作った押し花の栞。効能は魔除け、たぶんね。せっかくだからおまけで付けたげるね」
「商品でしょう?悪いですよ、そんなの。なんだっておまけしてくれるんです」
困惑気味に答えながら俺が渡した小銭を受け取り、先輩は悪戯が成功した子供のように「くふ」と笑って言った。
「トカゲくんが可愛いからかなぁ。だから仕方ことなんだよね。いいから貰っちゃって?」
「………はぁ。まぁ、それじゃ………どうも。あとトカゲじゃなくてトエイです」
「知ってるよー。はい、お代いただきました。毎度ありがとね、十影くん」
………これだ。学内では品行方正というスタンスなのに、この店前だと俺をすぐからかってくる。よく分からない人だ。
本当に、学内ではほぼ接点など無いのだけれど。釈然としない気持ちを抱えつつ、俺は先輩に見送られて再び街道を歩き出す。
包装紙に挟まっていた栞は抜き取って胸ポケットに仕舞った。先輩が魔除けというんだから多少は厄を祓ってくれるかもしれない。