個物(主語)から属性(述語)を排除していった時、それは分節を止めることだと思うのですが、その時何も残らないというのが仏教の思想ではありますが、それはともかく、そうした排除、すなわち否定の途を宗教的な本懐に資する修道論に取り入れているのは、ヤージュニャヴァルキヤ、龍樹、ニコラウス・クザーヌス、偽ディオニュシオス・アレオパギテス等、古今東西の宗教思想にみられますね。
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個物(主語)から属性(述語)を排除していった時、それは分節を止めることだと思うのですが、その時何も残らないというのが仏教の思想ではありますが、それはともかく、そうした排除、すなわち否定の途を宗教的な本懐に資する修道論に取り入れているのは、ヤージュニャヴァルキヤ、龍樹、ニコラウス・クザーヌス、偽ディオニュシオス・アレオパギテス等、古今東西の宗教思想にみられますね。