マウス、キーボード、コップ、時計、スピーカー・・・
そうした存在するものとしての個物、それは言葉による分節という事だと私は捉えているのですが、それを包括的に存在として一括りにした時、それぞれの個物の個性は消滅して、つまり分節が消滅して一つに、つまり未分節になると思うんです。
逆に云うと全ての存在するものは、その未分節なるものがことばによって分節されたものだと思うんです。
その未分節が西田幾多郎の云う「絶対無」というそれであり、個物はその「絶対無の自己限定」なのだと。
つまり、ここに 絶対無(未分節)=存在 という図式が成り立つのではないのでしょうか?
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