仏教のあれこれ

対話や方便についての考察

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龍樹菩薩は対話について『方便心論』にて

 >1.両方とも同じことを言う。最後まで意見が一致する。(一切同)    
 >2.互いに相いれず異なることを言う。まったく意見が不一致である。(一切異)
 >3.最初は一致しているが、話すうちに相違する。(初同後異)
 >4.最初は意見が異なっているが、話すうちに一致してくる。(初異後同)
 >(『「空」の発見――ブッダと龍樹の仏教対話術を支える論理』 石飛道子 より)

の四種類があるのだと指摘されています。
まぁ尤もな事ではありますが。

鹿野苑
作成: 2023/09/05 (火) 13:42:01
最終更新: 2023/09/05 (火) 14:34:05
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鹿野苑 2023/09/05 (火) 13:45:54 修正

「はじめに」で善巧方便の話をさせて頂きましたが、龍樹菩薩はお釈迦様が示されたその方便について『大智度論』にて
 
 >1.「世界悉檀(世間に定まった説き方)」
 >2.「各各爲人悉檀(人それぞれになされる定まった説き方)」
 >3.「対治悉檀(対症治療の定まった説き方)」
 >4.「第一義悉檀(最高の意味での定まった説き方)」
 >(『「空」の発見――ブッダと龍樹の仏教対話術を支える論理』 石飛道子 より)

と四種類があった指摘されております。

2
鹿野苑 2023/09/05 (火) 14:12:20 修正

龍樹菩薩といえば二諦が知られていますね。
以下、龍樹『根本中頌』第二十四章「四聖諦の考察」より、訳は『龍樹『根本中頌』を読む』桂紹隆、五島清隆

 第八偈
  >諸仏は二諦[という二種の異なるレベルの真実]に依って教え(法)を説くのである。
  >すなわち、世間の常識としての真実(世間世俗諦)究極的な意味での真実(勝義諦)である。
 第九偈
  >その二諦の区別を知らない人は[諸]仏の深遠なる教えの真実を知らない。
 第十偈
  >言語活動(言説)に依らずして、究極的なもの(勝義)は説示されない
  >究極的なものを理解せずして、涅槃は証得されない。