龍樹菩薩は対話について『方便心論』にて
>1.両方とも同じことを言う。最後まで意見が一致する。(一切同)
>2.互いに相いれず異なることを言う。まったく意見が不一致である。(一切異)
>3.最初は一致しているが、話すうちに相違する。(初同後異)
>4.最初は意見が異なっているが、話すうちに一致してくる。(初異後同)
>(『「空」の発見――ブッダと龍樹の仏教対話術を支える論理』 石飛道子 より)
の四種類があるのだと指摘されています。
まぁ尤もな事ではありますが。
「はじめに」で善巧方便の話をさせて頂きましたが、龍樹菩薩はお釈迦様が示されたその方便について『大智度論』にて
>1.「世界悉檀(世間に定まった説き方)」
>2.「各各爲人悉檀(人それぞれになされる定まった説き方)」
>3.「対治悉檀(対症治療の定まった説き方)」
>4.「第一義悉檀(最高の意味での定まった説き方)」
>(『「空」の発見――ブッダと龍樹の仏教対話術を支える論理』 石飛道子 より)
と四種類があった指摘されております。
龍樹菩薩といえば二諦が知られていますね。
以下、龍樹『根本中頌』第二十四章「四聖諦の考察」より、訳は『龍樹『根本中頌』を読む』桂紹隆、五島清隆。
第八偈
>諸仏は二諦[という二種の異なるレベルの真実]に依って教え(法)を説くのである。
>すなわち、世間の常識としての真実(世間世俗諦)究極的な意味での真実(勝義諦)である。
第九偈
>その二諦の区別を知らない人は[諸]仏の深遠なる教えの真実を知らない。
第十偈
>言語活動(言説)に依らずして、究極的なもの(勝義)は説示されない
>究極的なものを理解せずして、涅槃は証得されない。