>前眞見道根本智攝後相見道後得智攝。
>(前の真見道をば根本智に攝め、後の相見道には後得智に攝む)
>諸後得智有二分耶。有義倶無離二取故。
>(諸の後得智には二分有りや。有義は、倶に無し二取を離るるが故にという)
>有義此智見有相無。説此智品有分別故。
>(有義は、此の智には見有って相無し。此の智品には分別有りと説けるが故に)
>聖智皆能親照境故。不執著故説離二取。
>(聖智は皆能く親しく境を照らすが故に、執著せざるが故に、二取を離れたりと説くという。)
>有義此智二分倶有。此思惟似眞如相不見眞實眞如性故。
>(有義は此の智には二分倶に有り、此は似の真如の相を思惟して、真実の真如の性をば見ずと説けるが故に)
>又説此智分別諸法自共相等觀諸有情根性差別而爲説故。
>(又た此の智は諸法自共相等を分別し、諸の有情の根性の差別を観じて而も爲に説くと説けるが故に)
>又説此智現身土等爲諸有情説正法故。
>(又此の智は、身と土との等きを現じて、諸の有情為に正法を説くと説けるが故に。)
>若不變現似色聲等寧有現身説法等事。
>(若し現似の色聲等を変ぜざれば、寧んぞ身を現ぜし法を説くが等き事の有らむや)
>轉色蘊依不現色者轉四蘊依應無受等。
>(色蘊の依を転ずるをもって色を現ぜずといわば、四蘊の依を転ずるをもって受等も無かる應し)
>又若此智不變似境離自體法應非所縁。
>(又若し、此の智は変じて境に似ずといわば、自体に離れたる法は所縁に非ざる應し。)
>縁色等時應縁聲等。又縁無法等應無所縁縁。
>(色等を縁ぜむ時には、聲等を縁ず應し。又無法等きを縁せしむるときは所縁縁無いかる應し)
>彼體非實無縁用故。
(彼は体実に非ざるをもって、縁用無きが故に)
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>由斯後智二分倶有。此二見道與六現觀相攝云何。
(斯に由って後智には二分倶に有り。此の二の見道と六現観と相攝すること云何。)
>六現觀者。一思現觀謂最上品喜受相應思所成慧。
(六現観とは、一には思現観、謂く、最上品の喜受と相應する思所成の慧ぞ)
>此能觀察諸法共相引生煖等。
(此いい能く諸法の共相を観察して煖等を引生す。)
>加行道中觀察諸法。此用最猛偏立現觀煖等不能廣分別法又未證理故非現觀。
(加行道中にして諸法を観察するに、此が用最も猛し偏に現観と立つ。煖等は、廣く分別すること能わず、又理を証せず、故に現観に非ず。)
>二信現觀。謂縁三寶世出世間決定淨信。
(二には、信現観、謂く三宝を縁ずる世・出世間の決定の淨信ぞ。)
>此助現觀令不退轉立現觀名。
(此いい現観を助けて退転せざら令しむれば、現観という名を立つ。)
>三戒現觀謂無漏戒除破戒垢令觀増明亦名現觀。
(三には、戒現観、謂く無漏戒ぞ、破戒垢を除いて、観をして増明になら令むれば、亦現観と名く。)
>四現觀智諦現觀。謂一切種縁非安立根本後得無分別智。
(四には、現觀智諦現觀、謂く一切種の非安立を縁ずる、根本と後得との無分別智ぞ。)
>五現觀邊智諦現觀。謂現觀智諦現觀後諸縁安立世出世智。
(五には、現観邊智諦現觀、謂く現観智諦現観の後に、諸の、安立を縁ずる世・出世の智ぞ。)
>六究竟現觀。謂盡智等究竟位智。此眞見道攝彼第四現觀少分。
(六には、究竟現観、謂く、盡智等究竟位の智ぞ。此の真見道には、彼の第四現観との少分を攝む。)
>此相見道攝彼第四第五少分。
(此の相見道には、彼の第四第五の少分を攝む。)
>彼第二三雖此倶起而非自性故不相攝。
(彼の第二と三とは、此れ倶起と雖、而も自性非ざる故に相攝せず。)
>菩薩得此二見道時生如來家。住極喜地。善達法界得諸平等。常生諸佛大集會中
(菩薩此の二の見道得しつる時には、如來家に生じ、極喜地に住し、善く法界を達し諸の平等を得し、常に諸佛の大集会の中に生まれ、)
>於多百門已得自在。自知不久證大菩提。能盡未來利樂一切
(多くの百門に於いて已に自在を得しつ、自ら久しからずして大菩提を証し、能く未來を盡して一切を利楽すべしということを知んぬ。)