新聞に「外国人の『困りごと』寄り添う」という記事がありました。茨城県の「ネイティブコミュニケーションサポーター」という制度に参加している外国人の方の記事です。在住外国人へ母語での生活相談や行政サービスなどの情報提供を行う制度を担っています。生活者としての外国人への支援が行政でもきめ細かに進むだろうと期待したいところです。
ところで、「『困りごと』の解決」を支援することについて少し考えてみたいと思います。最近よく耳にする「困りごと」という言葉の意味は、「心に寄り添うきめ細かな支援」ということにありそうです。これで思い出すのはかつて松戸市に「すぐやる課」という部署が新設されたことです。縦割り行政の欠陥を改善する勢いの課でした。どこの行政府も部署管轄と人事異動があり、市民にとってはある日担当者が変ってしまって、なかなか抜本的な改善に結びつかないという思いに駆られることが多いものです。「困りごと」への対応にも似た側面を感じます。対応が早いので、時間のロスは感じないのですが、抜本的な改革には結びつかないという思いが残ることです。
物事は往々にして一挙に改善されることは難しいものです。また、当初の意味合いとは変化してよい内容が継承されることも起こるものです。そのような事例を示す別の記事がありました。ベルギーの事例です。「元は『愛国教育』」、今は「社会との接点つくりや労働力確保に」変化したという内容です。韓国やドイツでも外国人への移民政策がとられており、言語習得のプログラムが、公的に実施されています。日本ではこうした制度が確立していないので、ボランティアによる日本語支援体制の普及を図ることで、日本語習得支援の空白地域をなくす努力がされているのが現状です。その中で、これに加えて「困りごと」にも手を差しのべるという発想ですから、よいことではあるのです。
しかし、抜本的な改革にはなかなか結びつかいものです。以前に報告したと思いますが、県営住宅の書類の事例を思い出します。県営住宅に外国人が居住できることはとても助かります。しかし、書類は漢字で住所党派は記入し、印鑑を押すという内容です。日本語にはローマ字もあるのだし、サインにすれば事足りるのではないかと、改善を願ってしまいます。賃貸契約、登記や登録の規則などいろいろな関連規則の改善が進まないと実現しないのでしょう。基本的人権としての市民権、居住や意思決定過程への参加なども同時に検討する視点を含まないと長期的な問題解決には至らないのではないでしょうか。
ついつい思ってしまいます。「楽しい」生活を送れる日を実現できるのはいつのことでしょうかと。
宮本敏弥(地域日本語教育コーディネーター:文化庁H29研修修了)