CINGA主催のオンライン勉強会に参加しました。全国から、地域日本語教室のボランティアで活動している運営者が参加していました。
西東京地域で、1993年から地域日本語教育の活動を始めたYさんの活動紹介がありました。首都圏の東京地域では1990年代の初めから活動されている方が多く、しかもその蓄積を積極的に全国に公開されています。練馬区の方の事例では「みんなの日本語初級Ⅰ・Ⅱ」のテキストの独自の実践的な解説書を刊行されるなど、各地のボランティアの手の届くところに貴重な資料を公開して提供してくださっています。外国人人口が早くから多かった都市圏では草創期の日本語教室の先人たちのこのような開拓精神にあふれた活動がありました。こうした歴史的な歩みを受け継いで、今日のわたくしたちのボランティア活動もその質を高めることができたのだと実感しました。
Yさんも専門の「異文化コミュニケーション」を生かしながら、緩やかな参加と連携を保った協働関係を築きながら、地域日本語教育の学ぶ場を形成、発展させてきました。市民や学習者への広報や講師の研修会は共同で実施し、運用・運営は各教室の独自性や地域の事情を尊重した形態をとっています。公民館を学びの場として活用しながら、公民館や自治体とも協働し、曜日や時間帯は学習者のニーズを汲んで様々に設定して活動しています。
ボランティアは、互いに尊重し合い、学びながらの教室運営では、「このテーマで説明できる人」、「この質問に答えられる人」という具合に気軽に声を掛け合い、チームでの教授内容の補完をして、最良の内容を学習者に提供していく工夫をしていました。
学習者に対しては、日本語が学べる場というだけではなく、常に「生身の人間として等しく接する」という意識を持ち、外国に方の生活の現場をイメージしながら、人権意識を基本にして活動しています。学習者は、個人として話せる方がいる場、自分の居場所として、「心地よい」「楽しい」という感覚と「自分の成長を確認できる場」として、その存在意義を考えています。
講師の活動も、「先行シラバス」ではなく、「後行シラバス」で授業の意義を確認していきます。何ごとも無駄なことはないものです。講師と学習者の双方にとって参加型での教室では、これは有効だと考えるようになりました、との説明でした。実生活でも偶然の話題が飛びだしたりしますが、後付けをきっちりすることで、次につなげることもできるし、問題解決の工夫を準備することもできます。テキストや前もって決めたカリキュラムにしばられない「自由さ」「ゆとり」も必要だとわかります。特にテキストを活用している教室運営では、この観点から振り返ってみるといいでしょう。ついつい「テキスト『を』教え込もうとしている」ことがありませんか、という観点ですね。
このシリーズでは、「楽しいって、何?」を考えています。今回は、参加者が『自分の成長を確認できる』ことが「楽しい」に結びついているという指摘が、ひとつのヒントです。
皆さんはいかがですか。
宮本敏弥(地域日本語教育コーディネーター:文化庁H29研修修了)