楽しいって何だろう。2024・12・11・(水)
皆さんは、「常識を疑い、良識をもって考える。」という言葉を聞いたことがありますか。日本語の単語は多義的であり、加えて多様な表現を許容する言語ですが、それでも定義を考えて用いることは対話や談話では大事です。日本語に対してはさまざまな評価がありますが、科学的な思考や日本語を用いた研究からノーベル賞を受賞する研究も生まれています。世界の他の言語に比しても、決して引けを取らない言語です。
日常の言語生活でも、「定義を重んじる」という原則は多言語と同じです。そのことを注意喚起するフレーズが、「常識を疑い、良識をもって考える。」という言葉です。常識は地域や時代の制約、文化の制約を受けた個別的で狭い範囲の特殊な知識のことです。良識は、普遍性を重んじ、理性的で論理的な思考過程を重んじた、地球規模の世界で共有できる知識や能力のことです。
例えば、次のような事例を考えてみましょうか。日本は民主主義社会であり、恒久平和と基本的人権を尊重する国です。日本国憲法にも記されている内容です。自由権の中に「表現の自由」という権利があります。これを、「日本国憲法は、「表現の自由」を保障している。」だから「何を言っても自由だ。」これは、「常識」かもしれませんが、いかがなものでしょうか。ヘイトスピーチも自由。関東大震災の時の朝鮮人虐殺はなかったというのも自由。政府が「歴史的な資料が確認できなかった」というのも自由。そうでしょうか。自由権は歴史的に獲得された権利です。封建時代の圧政をはねのけて確立した基本的人権の一つなのです。常識と考えられている「何を言っても自由だ。」というのは、良識からすれば、間違いです。真実や正しいことを言う権利があるという、移転の自由、職業選択の自由、思想信条の自由、などが許されなかった中世の圧政からの自由なのです。そうでなければ人権の意味がないのではないでしょうか。常識と良識はこのように区別する必要があります。そこでもう一つ大事な日本語表現は「自由に生きる」のではなく、「自由を生きる」ことが社会的存在としての個人の生き方として大事なものなのではないでしょうか。
地域日本語教育のボランティア活動では、いわば日々「国際社会の中で活動」しています。いかに良識が基本になくてはならないかが、わかります。この立場から「楽しいって、何だろう」と考えてみませんか。
参考に事例を一つ書きます。
Aさんは、地域日本語教育のボランティア講師について「同好会と同じだと考えています。自主的にやっているし、楽しいから続けているのです。」
Bさんは、地域日本語教育の日本語ボランティア講師は学びながら準備し、いろいろな質問や相談があって、試行錯誤しながらチームで解決してやっていますが、やりがいがあり、楽しいです。
「Aさん」と「Bさん」の『楽しい』に違いがあることを考えてみましょう。
皆さま、いかがでしょうか。
宮本敏弥(地域日本語教育コーディネーター:文化庁H29研修修了)