15回目
NPO法人多文化共生リソースセンター主催のシンポジウム「ブラジル人学校の実情」を聴講しました。
とてもショックだった言葉を聞きました。
それは「お父さんは日本語が話せないけれど、工場で働いて給料もらっている。」だから、自分も「いま日本語を身に付けなくても将来も困らないだろう」と考えているブラジル人の若者が多いということです。とても現実的な考え方です。これに関連した言葉に、中米では約束の時間に遅れることを気にしない、という考えをコロンビアの高校生が、日本語のスピーチで述べていたことです。
多くの日本人からすると、5分前集合は学校生活で身に付けていますから、遅刻はいわば「悪」という価値観が刷り込まれています。ビジネスでも言葉遣いやマナー、約束時間の厳守、アポイントをとること、これらを必須のこととして身に付けます。これが日本社会で教え込まれた価値観なのです。自分で考えて選び取ったわけではないのですが、身についたものです。果たして、これは正しいことなのでしょうか。
お互いに無意識のうちに対立的に接するようになります。「何故遅刻するのか。」「遅刻する前になぜ連絡をくれないのか。」この日本人ボランティアにとっての最初のカルチャーショックを経験した人は多いのではないでしょうか。
キャリア教育という形での職業について知るという機会が最近の学校教育では設けられています。日本語学校でも同様です。ブラジル人学校でも取り入れるようになったと聞きました。初めて聞くと不思議に思える現象は、日本語を身に付けたブラジル人は帰国してブラジルの大学に進学し、日本語のできないブラジル人が日本に残って仕事をしているということです。これを打破して若者の進路選択の可能性を広げる試みの一つが、キャリア教育です。
勿論ブラジル人でも色々な方がいます。私の友人は、アメリカの大学に2年間留学し、その後日本の筑波大学の大学院で2年間学びました。そして今は、日本企業に勤めており、守谷市に住んでいます。奥さんはハンガリーの方です。このようにきわめて国際的な人生選択をしている方もいるのですが、そうでない方も多いのです。
文化の壁は双方の無意識の中にあります。知らずしらず対立したり、理解に苦しんだりしています。心が通わない状態では、言葉も身につきませんし、意欲もわきません。ましてや「たのしい」ということも、おそらくできないのではないでしょうか。
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