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大衆、重ねて徴かに問う分
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三徳の不可思議を歎ず
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経:その時に大荘厳菩薩、また仏に白して言さく。世尊。世尊の説法不可思議なり。衆生の根性 また不可思議なり。法門解脱 また不可思議なり。
訳:その時に大荘厳菩薩が、また仏に申し上げました。世尊。世尊の説法は、非常に深遠で思議できません。人々の根性欲も、また深遠で思議できません。教えも修行方法も、また深遠で思議できません。
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発問の所由を明かす
経:我等、仏の諸説の諸法に於いて、また 疑難なけれども、しかも諸の衆生迷惑の心を生ぜんが故に、重ねて、世尊に
訳:私たちは、世尊の説かれる様々な教えにおいて、疑問や困難はございませんが、人々は、迷いとまどうこともあろうかと存じます。そのような迷いやとまどいが起こらないように、重ねて世尊にお伺いいたします。
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正問を挙ぐ
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経:如来の得道より以来 四十余年、常に衆生の為に 諸法の四相の義、苦の義、空の義、無常、無我、無大、無小、無生、無滅、一相、無相、法性、法相、本来空寂、不来、不去、不出、不没を演説したもう。もし聞くことある者は、或は、忍法、頂法、世第一法、
訳:世尊は、悟りを得てから、四十余年の間、常に人々のために様々な教えを説かれてきました。それは、一切の現象が、生じ、とどまり、変化し、滅するという「四相の義」、一切が苦であるとする「苦の義」、事物・現象は、縁起に依って仮に生滅するために、そのものには実体はないとする「空の義」、縁起に依って生滅するものは必ず変化するという「無常の義」、自分という概念、自分のものという概念を否定する「無我の義」、大・小にこだわらず「無大・無小」と観ること、生・滅にとらわれず「無生・無滅」と観ること、真理は一つであるという「一相」、有無の相を超越した「無相」、一切のものごとの真理としての性である「法性」、真理としての相である「法相」、本来は空であり寂であるとする「本来空寂」、「不来・不去」、「不出・不没」という涅槃の境地を演説されてきました。
もし、この教えを聞くことができた者は、最初は心温まるものを感じる程度から徐々に高まり、その教えの尊さに気づき、煩悩を捨てることによって迷いの世界から脱することができると学び、実践して、ついには阿羅漢果という声聞の最高の境地を得る事ができました。または、縁覚の者は辟支仏道を得、悟りを目指す心を起こし、第一地、第二地、第三地に登り、第十地の境地に至りました。
さて、これまでに説かれた教えと、今説かれた教えと、どの様な違いがあるのでしょう? しかも、この大乗の無量義の教えのみ、菩薩が修学すれば、必ずまっすぐに最高の悟りを成すと言われるのには、どの様な理由があるからでしょう? ただ、願わくは世尊、一切の人々を哀れと思われて、広く人々のために詳しく分けてお説き頂き、広く、現在、未来に教えを聞くすべての人々が、少しの疑いを持つことのないように、お教えくださいますようお願い申し上げます。
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大衆、重ねて徴かに問う分
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