仏教のお話

仏教用語 / 2

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ダルマ太郎 2024/05/27 (月) 20:20:54

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無我
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無我は、アナートマン anātman の訳です。アートマンの否定という意味です。アートマン ātman とは、インド思想の中心にあるもので、個の原理・個の主体・個の実体のことをいいます。個の原理とは、私を私として成り立たせるもの、という意味です。全体の原理のことをブラフマン brahman といいます。アートマンとブラフマンは同一だと覚ることが、インド思想では重視されます。梵我一如といいます。個の主体とは、心身の中心のことです。感情・思考・意志・行動の主導者です。または、業・輪廻・解脱の主体です。アートマンは、絶対なる主体なので、決して認識されません。認識したら、それはアートマンではありません。個の実体とは、「真に存在するもの」のことです。

釈尊の時代、多くの修行者がアートマンを求めて出家をしました。絶対的な主体であり、客体にはならないアートマンを覚ることは不可能のような気がしますが、修行者たちは、ヨーガをし、苦行をしてアートマンを認識しようとしました。一つの方法として、これがアートマンである、と感じたら、それを片っ端に否定することが勧められました。そうして最後に残ったのがアートマンだというのです。果たして、どれくらいの成功者がいたのかは不明です。

釈尊は、29歳で出家し、師について瞑想をしましたが、瞑想では覚れないと分かって苦行に入りました。約6年もの間、過酷な苦行を行いましたが、苦行でも覚れないと分かって苦行を捨てました。そして、菩提樹の下で禅定に入り、遂に覚りを得ました。その時、何を覚ったのかは不明です。真実に目覚められたのでしょうが、それがアートマンに関するものなのかは分かりません。ただ、覚られた仏陀は、無我を説きました。それが、「アートマンは無い」という全否定なのか、「アートマンに執着するな」というものなのか、「あなたが想うものは、アートマンでは無い」というものなのかは不明です。

無我とは、アートマンの否定のことです。よって、アートマンという概念を知らなければ無我は分かりません。しかし、中国に仏教が入ってきたとき、中国にはアートマンという思想がなかったので、当然無我も理解できませんでした。アートマンを訳す言葉が無かったため、「我」という漢字を借りたくらいです。我とは、円盤状ののこぎりの様な武器のことですので、アートマンとの関連はありません。新しい意味で使われ始めた我という字は、後に「私」という意味でも使われるようになったので、余計に混乱しました。日本の仏教は中国経由で入ってきましたので、日本でも我・無我は理解されませんでした。そもそもバラモン教の思想であるアートマンを否定して無我だと言ったのですから、バラモン教を知らなければ理解できないと思います。

4世紀に鳩摩羅什が、摩訶般若波羅蜜経や龍樹の大智度論・中論を訳し、合わせて座学で仏教を講義しました。このことで、中国では、無我や空などの重要な仏教用語の意味が知られることになりました。それでも、日本での無我の解釈には誤りが多いようです。ネットの情報を鵜呑みにせず、仏教用語辞典などで、きちんと意味を把握したほうがいいです。
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無我
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