仏教のお話

輪廻 / 6

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ダルマ太郎 2024/05/17 (金) 15:44:44 修正

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初期仏教~大乗仏教
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仏教は、釈尊が覚りを開いて、鹿野園で五比丘に対し説法を説いた時に始まりました。それから、釈尊が亡くなって約100程年ほどして、仏教教団が保守派の上座部と革新派の大衆部とに根本分裂するまでを初期仏教といいます。

初期仏教は、アンチ・ヴェーダの教えだと言われます。なぜなら、ヴェーダ聖典の根本思想であるアートマンを否定したからです。アートマンは、個の原理・主体・実体です。これを否定してアナートマン、つまり無我を説きました。アートマン思想が広まっていたインドでは、無我の考え方は受け入れがたかったようです。紀元前3世紀頃にアショーカ大王が、インドを統一し、仏教を国教にして、仏教を保護し、仏教は大いに盛り上がりました。仏教が栄えたことによって、バラモン教は衰退しました。根本分裂の後、教団は次々と分かれましたので、この頃の仏教を部派仏教といいます。部派仏教の時代は、国からの保護を受けていたので、仏教はどんどん拡散しました。その結果、部派が増えたのです。

部派仏教の時代に最も勢力があったのは、説一切有部です。説一切有部は、人については無我だと説きましたが、法は有ると説きました。法とは、水を水として成り立たせるもの、火を火として成り立たせるもの、物を物として成り立たせるもののことです。「人無我。法有我」という説を土台にしたのです。

また、業報輪廻を積極的に説き、業報輪廻を十二因縁によって説明しました。無明・行を過去の因だとし、識・名色・六処・触・受を現世での果だとしました。愛・取・有を現世での因だとし、生・老死を来世の果だとしました。これを三世両重の因果といいます。これは、説一切有部の説であって、釈尊が説いた内容ではありません。

また、説一切有部は、食事が国から提供されるため、在家との関係を断っています。つまり、托鉢をやめてしまい、在家への説法もやめてしまいました。地方を巡って説法をする遊行もやめています。説一切有部は、それよりも経典の解釈をすることに熱中しました。いわゆるアビダルマ(論書)をつくることに懸命になったのです。大乗仏教では、説一切有部の説いた法有、業報輪廻、在家との関係を否定しました。一切法空・廻向・大乗を説いたのです。

このようにバラモン教を否定して初期仏教が説かれ、初期仏教を否定してアビダルマが論じられ、アビダルマを否定して大乗が説かれました。以前の教義を否定することによって、仏教は、より高度な教えへと発展しました。このことは、初期仏教の信者は納得しないのでしょうが、経典を読めば一目瞭然です。仏教の最終形態は、密教ですので、密教が最も高度で深い教えが説かれているのでしょう。しかし、密教は師から弟子へと伝えられる教えですから、一般人には知らされていません。よって、我々は、初期仏教経典・大乗仏教経典と中観派の論書・唯識派の論書を学ぶ必要があります。輪廻についても、初期仏教の経典だけで判断するのではなく、大乗仏教の経典も学んでから判断するべきでしょう。
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初期仏教~大乗仏教
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