仏教のお話

Rの会:方便品第二(前半) / 4

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ダルマ太郎 2024/04/21 (日) 16:08:30 修正

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三昧
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太郎論:法華経の説法は、方便品から始まります。序品では無量義処三昧に入っているために言葉は発していません。三昧とは、サマーディ samādhi の音写であり、「まとめる」、「心を整える」、「意図的な熟考」、「完全な吸収」などの意味があります。瞑想によって深い精神集中に入った状態のことです。無量義処三昧というのは、無量義の教えについて熟考することです。法華経には、たくさんの三昧が出てきますが、ほとんどは、そのことを熟考する意味です。
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無問自説(むもんじせつ)
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太郎論:通常、仏教の経典では、誰かの質問に応じて釈尊が答えるという形式をとります。しかし、方便品では、誰からの質問もないのに、釈尊が舎利弗(しゃりほつ)に対して説法を始めました。これを無問自説といいます。質問に答えるのであれば、質問者の機根に合わせて説法をする必要がありますが、無問自説ならば、対機説法にする必要がありませんので、少々レベルの高い教えも説くことができます。
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舎利弗(しゃりほつ)への説法
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太郎論:釈尊は、説法の相手に舎利弗を選ばれました。舎利弗は、仏教教団では「智慧第一(ちえだいいち)」だと言われています。その天才舎利弗に対して教えを説かれるのですから、これから説かれる教えは、かなりレベルの高い智的なものだと予想できます。舎利弗とは、シャーリプトラ Śāriputra の音写です。舎利弗の母親は、美しい眼を持っていたことから「シャーリ」と呼ばれていました。シャーリとは、鳥のサギのことです。サギの眼はギョロっとしているイメージですが、インドでは、美しいという感じなのでしょう。または、あだ名ではなく、本名だともいわれています。プトラは、「子」です。つまり、舎利弗とは、「シャーリの子」という意味です。玄奘(げんしょう)は、「舎利子(しゃりし)」と訳しています。
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仏の智慧(ちえ)
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太郎論:智慧とは、プラジュニャー prajñā の訳です。般若(はんにゃ)とも音写されます。真理(法)を観察する能力のことです。最高の真理(妙法)を得ることで、智慧を完成することができます。いわゆる般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)です。仏は、智慧を完成されて、妙法に目覚められていますので、仏の智慧とは、般若波羅蜜です。般若波羅蜜を得たことによって、無上の覚りである阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成就されています。つまり、成仏されています。法華経以前に説かれた般若波羅蜜経では、智慧の完成がテーマでしたが、法華経では、般若波羅蜜の対象である妙法がテーマになります。
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太郎論:釈尊が、菩提樹の下で何を覚られたのかは分かりません。仮説としては、最高の真理である妙法と人々を妙法に導く方便の二つだといわれています。妙法は、言葉では表せません。なので、覚りを開かれた釈尊は、教化することを躊躇(ちゅうちょ)します。しかし、深く思惟(しゆい)し、方便力によって教化することを決められました。この方便とは何なのかが方便品のテーマであり、法華経全体のテーマでもあります。真理と方便、智慧と慈悲というキーワードが、法華経を学ぶときに重要です。
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太郎論:諸仏の智慧は甚深無量であり、その智慧の門は難解難入だと、釈尊はいわれます。覚りの境地は、非常に奥が深く、量ることができません。覚りの入口でさえも、それに入ることは難解であり、難入だと説かれます。その甚深無量・難解難入の智慧について、またその対象の妙法について、妙法へと導く方便について、これから法華経では説法が為されるわけです。
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三昧
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