仏教のお話

Rの会:方便品第二(前半) / 2

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ダルマ太郎 2024/04/20 (土) 20:22:15 修正

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迹門(しゃくもん)本門(ほんもん) 迹仏(しゃくぶつ)本仏(ほんぶつ)
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R論:〈迹門の教え〉は〈迹仏〉の教え。〈迹仏〉とは、実際にこの世にお生まれになった釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)のことです。ですから〈迹門の教え〉は一口にいって、宇宙の万物万象はこのようになっている、人間とはこのようなものだ、だから人間はこう生きねばならぬ、人間どうしの関係はこうあらねばならぬということを教えられたものです。いいかえれば、〈智慧(ちえ)〉の教えです。
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R論:〈本門〉では、本来仏というのは、宇宙のありとあらゆるものを生かしている宇宙の大真理〈大生命〉であるということを明らかにされます。したがって〈本門の教え〉は、自分は宇宙の大真理である〈本仏〉に生かされているのだ。という大事実にめざめよ。というもので、〈智慧〉を一歩超えた素晴らしい魂の感動、本仏の〈大慈悲〉を生き生きと感じる教えです。〈慈悲〉の教えです。
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太郎論:迹仏としての釈尊は、「宇宙の万物万象はこのようになっている」「人間とはこのようなものだ」ということを説いているのでしょうか? おそらくは、縁起のこと、菩薩道のことなのでしょうが、そのことは法華経以前から説かれていますから、法華経で初めて説かれたわけではありません。智慧とは、真理を観察する能力のことなので、現象を通して妙法を覚るためにあります。現象を把握する能力とは違うと思います。
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太郎論:本仏とは、真理を体とする法身仏のことでしょう。真理によって現象が起こりますので、Rの会では、「あらゆるものを生かしている」と表現しているのでしょうね。しかし、大生命という言い方は、何だか神のように思えます。真理を法身仏だと譬えているのに、それをさらに大生命だと譬える必要があるのかが分かりません。実体を観るようになりそうに思えます。
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迹門と本門 迹仏と本仏
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