仏教のお話

Rの会:無量義経 / 51

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ダルマ太郎 2024/03/30 (土) 01:40:39 修正 >> 15

内証身(内密の身)…法身仏

其の身は有に非ず亦無に非ず
因に非ず縁に非ず自他に非ず
方に非ず円に非ず短長に非ず
出に非ず没に非ず生滅に非ず
造に非ず起に非ず為作に非ず
坐に非ず臥に非ず行住に非ず
動に非ず転に非ず閑静に非ず
進に非ず退に非ず安危に非ず
是に非ず非に非ず得失に非ず
彼に非ず此に非ず去来に非ず
青に非ず黄に非ず赤白に非ず
紅に非ず紫種々の色に非ず

その身体は
有ではなく 無ではなく
因ではなく 縁ではなく
自でも 他でもなく
四角ではなく 円ではなく
短くも 長くもなく
出ではなく 没ではなく
生まれるのでも
滅するのでもありません
造られたのではなく
起こったのではなく
為すのでもなく
作るのでもありません
坐っているのではなく
寝ているのではなく
行くのでも
止まるのでもありません
動くのではなく 転がるのではなく
動きが止まっているのではなく
進むのではなく 退くのではなく
安全でも 危険でもありません
肯定ではなく 否定ではなく
得でも 損でもありません
あちら側はなく こちら側はなく
去るのではなく 来るのでもなく
青ではなく 黄ではなく
赤でもなく 白でもなく
紅ではなく 紫やその他の色でもありません

仏の存在は、有るとか無いとか世間的な考え方で推し量ることはできず、形や色を以って示すことができません。まさに、法身・報身・応身の三身一体となった常住不変の存在です。

徳行品では、仏を讃嘆するとき、まず法身仏としての仏を讃えています。法身仏とは、真理(法)を体とする仏のことです。法華経の時代は、法身仏と応身仏という二身仏が説かれていました。真理と現象のことです。現象は真理によってあり、真理は現象によってありますから、その二つはコインの裏表のように一体です。真理が事象として現れたものが応身です。または化身ともいいます。よって、肉体を持って生まれた釈尊は応身仏です。法華経では、法身仏と応身仏のことが説かれており、無量義経においても法身仏と応身仏のことが説かれていますので、法身仏について学ぶことは必要です。避けて通れば法華経・無量義経から離れてしまいます。非常に難しい内容なので省略したのでしょうが、妙法を学ぶためには、法身仏は把握しておく必要があります。

法華経の後、唯識の時代に、仏の三身が説かれるようになりました。法身仏と応身仏に報身仏が加えられたのです。報身仏とは、修行の果報として成仏した仏のことです。法華経には、報身仏のことは説かれていませんが、日本では法華経を三身仏として読む傾向が強いようです。

さて、経文にある「其の身は有に非ず亦無に非ず~」とはどういう意味なのでしょうか?  

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