仏教のお話

般若心経 / 13

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ダルマ太郎 2024/05/21 (火) 19:14:03 修正

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摩訶般若波羅蜜経集散品第九の解釈
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この章では、須菩提が釈尊に自分の領解を発表しています。須菩提は、十大弟子の一人で解空第一・無諍第一などと呼ばれます。空をよく理解しているので解空第一といわれ、言い争うことがないので無諍第一と呼ばれました。
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「また次に世尊。菩薩摩訶薩が智慧の完成の行を欲するならば、物質的現象の中に留まってはいけません。感受作用・想起作用・意志作用・認識作用の中に留まってはいけません」。

須菩提は、菩薩が智慧の完成の修行を求めるならば、物質的現象に執着してはいけないと言います。物質的現象は空なので、執着の対象ではありません。感受作用・想起作用・意志作用・認識作用も同じです。このように五蘊は空だから、執着するなと言っています。
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「眼耳鼻舌身意の中に留まってはいけません。色声香味触法の中に留まってはいけません。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の中に留まってはいけません。視覚的接触、ないし意の接触の中に留まってはいけません。視覚的接触の因縁によって生じる感受、ないし意の接触の因縁によって生じる感受の中に留まってはいけません。地の要素、水・火・風の要素、空間・意識の要素の中に留まってはいけません。無明ないし老死の中に留まってはいけません」。

十二処・十八界なども空ですから、執着の対象ではありません。そういうものに執着しても、得るものは有りません。
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「なぜならば、世尊。物質的現象の特徴は空であり、感受作用・想起作用・意志作用・認識作用の特徴は空だからです。世尊よ。物質的現象は、名称が無いので物質的現象です。空から離れれば、物質的現象ではありません。物質的現象、それは即ち空であり、空、それは即ち物質的現象です」。

物質的現象に執着してはいけない理由は、それが空だからです。空なるものに、執着することはできません。夢や幻に執着するようなものですから、利益がありません。私たちは、物質的現象の一つ一つに名称をつけていますが、物質的現象には名称がありません。すべての名称は人が便宜上付けただけですから仮です。名称が無いものが物質的現象なのです。空から離れて、物質的現象は有りません。物質的現象は、即ち空です。実体は有りません。空は、即ち物質的現象です。実体が無いから、因縁和合し、物質的現象が生じます。
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「感受作用・想起作用・意志作用・認識作用もまた空であり、名称が無いので認識作用です。空から離れれば、認識作用ではありません。認識作用、それは即ち空であり、空、それは即ち認識作用です」。

五蘊のすべては空であり、名称が無いから認識作用です。空から離れて、認識作用はありません。認識作用、それは即ち空です。実体は有りません。空は、即ち認識作用です。実体が無いから、因縁和合して、認識作用が生じます。
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「ないし老死の特徴は空です。世尊。老死は空であり、名称が無いので老死です。空から離れれば、老死ではありません。老死、それは即ち空であり、空、それは即ち老死です」。

老死も空ですから、実体は有りません。名称が無いので老死であり、空から離れれば老死ではありません。老死、それは即ち空です。実体は有りません。空は、即ち老死です。実体が無いから、因縁和合して、老死が生じます。
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「世尊。この因縁によって、菩薩摩訶薩が智慧の完成の行を欲する時は、物質的現象の中に留まってはいけないし、ないし老死の中に留まってはいけません」。

一切は空なのですから、一切への執着を捨てる必要があります。一切は空であり、空が一切を作っています。よって、あらゆるものに執着してはいけません。私たちが世界だと思っているのは、実は脳内で仮設した世界です。仮設された世界は、水に映った月のようなものですから実体は有りません。実体の無い仮設された世界に執着しても、得られるものは有りません。
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摩訶般若波羅蜜経集散品第九の解釈
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