名前なし
2022/06/15 (水) 13:01:21
97dd7@f3b7f
最多生産タイプの割には重いから良くないって聞くけども、なんで最多生産まで行ったんだろうか。44~45年生産だし、この時期になると重くなっても20mm積んでないと困るって事だろうか?
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ヒント:ホ103の12ミリ弾で苦労してないならホ5は主力の装備になってない
WTでもマウザー飛燕とキ100が存在しなくて、ホ103が豆鉄砲のままだったら使われてたのかもしれない
単純に川崎航空機で他に作る単発戦闘機が無かったんじゃない?飛燕2型はずっこけたし、飛燕2型改の量産も44年9月以降だし、5式戦は45年から。もし飛燕2型が量産されたり、キ64やキ88が正式採用されていればまた違った結果になったかも。
三菱や中島と違って屠龍と飛燕しか目立った採用機体が無いからリソース集中しがちなんよな
端的に言えば、II型の開発が難航したから。そもそもキ61は試作機の延長線上で作ってみたら高性能だったので急いで採用した(I乙の武装が揃わなくてもI甲の武装で先行量産したりとか、とにかく急いで前線に送った)という流れがあって、初期から重武装長距離作戦に対応したII型の採用を前提としていた節がある。当時はB-17みたいな重装甲の目標に対する火力が問題になっていたから20mmクラスの武装が必須とみなされ始めていて、陸軍では一旦MG151/20を使いつつ、国産20mmを乗っけた機体を開発する形になった。その結果、I丙がI乙と並行して量産されつつI丁の開発もされることに。本来ならばキ-61Ⅱが割りと早い段階で採用されるはずだったのだけど、ハ140の開発が難航した結果キ-61Ⅱの開発も遅れ、このままではMG151/20も在庫が切れるし、ホ5の機首搭載がなんとかなりそうなのでひと先ずはと言うかたちでI丁(当時はI改とも呼ばれていて、I丙までとは別の扱いだった事がわかる)の量産開始。その後もキ-61Ⅱを待つ形で作られ続けた。が、待てども待てどもキ-61Ⅱは成功せず、本来は大型化してホ5を乗せるはずだった主翼をI型のものに戻し、キ-61Ⅱ改として先行量産を開始するも、その頃にはキ100への転換が始まっていて、キ-61Ⅱ改の量産型も細々とした生産になった。結果として、重装甲の相手にも対抗できる20mmを持っていて、しかも武装の自国量産が可能だったI丁が最も多く作られる事になった。I型丁が最多生産になったのは、局地戦闘機と長距離戦闘機を待ってる間の間に合わせだったはずが、結局は主力となった零戦とか、F4Uを待ってる間につなぎとして頑張ったF6Fとかとおんなじ類の理由だね。
木じゃないけど小ネタに入れてほしいくらい納得した。
キ-61Ⅱ改として先行量産を開始するも、その頃にはキ100への転換が始まっていた←うーんこの
物凄い納得した。解説本文だと1丁はエンジン据え置きなのに重くなったからと言われてるのが、新エンジンの改良された2型だったら理屈の上では問題ないはずだもんな。待ってる間に最終的に最多生産になったのね。