ちなみに我が国日本も日中戦争・太平洋戦争中には末期を除いて普通に旅行に行ったり伊勢神宮参拝したり修学旅行もしてた模様、以下参考。戦時下における旅行制限とガイドブックについて(金沢星稜大学)。今はネットという便利なものがあるんだし少しは検索して書籍等読めばいいのに、地獄のベトナム戦争でも旧正月は休みにしてたり戦争中こそイベントや休日は大事にするものよ
通報 ...
ちなみに我が国日本も日中戦争・太平洋戦争中には末期を除いて普通に旅行に行ったり伊勢神宮参拝したり修学旅行もしてた模様、以下参考。戦時下における旅行制限とガイドブックについて(金沢星稜大学)。今はネットという便利なものがあるんだし少しは検索して書籍等読めばいいのに、地獄のベトナム戦争でも旧正月は休みにしてたり戦争中こそイベントや休日は大事にするものよ
ちょっと違うけど、ビールの泡はビールに含まれるかどうか裁判とかも1943年だし銃後の生活ってのは一律的に見なされていいものではないよな、特に外野からは
それは、ひどく不気味な光景だった。アメリカという国は、ベトナムの泥沼を這いずり回って暮らす数十万の我々全員よりも、月面にいるたった二人の男のことのほうをずっと心配していたのだ。得体の知れない感情がこみ上げてきた
↑↑日本人の戦争体験の話が基本本土空爆開始から終戦までの都市部住民の悲惨な時期に集中してるのもダメなのだろう、当然日常生活もあったわけだが軍人の上官が威張り散らし焼夷弾が降ってくる悲惨で苦しい生活しか描かない朝ドラを放送するNHKが悪い
食糧難は戦時中より戦争終わってからの方が悲惨だったらしいね
戦後の食糧難ってコメの凶作、世界各地の日本人や日本兵が帰ってきたことによる需要の増加であってたかな
終戦頃は輸送がボロカスにやられててあのまま終戦迎えなかったら日本人の何割かが餓死する恐れがあった
考えるとあのタイミングでの降伏は本当に奇跡と言えるな、失敗したら日本が朝鮮半島化しててもおかしくなかった
↑3 配給システムの混乱も原因だね。戦時中は政府が農家から一定の価格で米を買い上げる供出米の制度が機能していたが、戦後政府の力が落ちて供出米が激減し食糧配給が滞った。