どこの都市にも裏の顔があるように、この国にも後ろ暗い一面はあるものだ。
通りを奥へ奥へと進んでいくと、袋小路の脇に目立たない扉がある。そこは旧盗賊ギルドだという酒場で、今でも裏の人間が集まる場所だ。
度と酸味の強い乳の発酵酒や、海外から仕入れた魔術酒を扱う。仕事が欲しければ合言葉を言うことだ。
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どこの都市にも裏の顔があるように、この国にも後ろ暗い一面はあるものだ。
通りを奥へ奥へと進んでいくと、袋小路の脇に目立たない扉がある。そこは旧盗賊ギルドだという酒場で、今でも裏の人間が集まる場所だ。
度と酸味の強い乳の発酵酒や、海外から仕入れた魔術酒を扱う。仕事が欲しければ合言葉を言うことだ。
酒場の扉が開き、きょろきょろと周りを見回しながら、男がひとり入ってくる。
右手には今しがた脱いだ帽子。左手には細身の杖。気さくそうな笑みを浮かべ、裏通りの先客たちに会釈した。
「やあやあこんにちは。……おっと怪しい者ではありません。はい? 神官? ガサ入れ? とんでもない! 嫌ですねえ、そんな怖い顔しないでくださいよ。丸腰ですよ? 私はただの旅人でしてね。着いたばかりなものですから、まずはこの国の酒でも味わおうかと。」
やれどっこらしょと、適当な椅子に腰を下ろす。
「なにかお勧めあります? ははあ、乳の発酵酒。それいただきましょうか。」
酒が出された。酒坏をちびちび舐めながら、頬杖をつき、のんびりと過ごしている。
古い扉が開き、また一人足を踏み入れる。
ジロリとした目つきは元からか…特に臆するでなく男は慣れた風にカウンターへと足を運ぶと注文をする。
「魔術酒か…変わった名前だな…、いや気に入った。それを一つ、それと適当につまみをくれ」
品を受け取ると適当な席へ…と向かいがてら赤毛の男をちらりと見た。
物腰が柔らかそうで風体も悪くない、こんな店には不似合いとも思えるが…
「あんた、こんなところで呑気に食事とはね。店、間違えてんじゃあないか?」
無愛想に投げかけながらも近くの壁際の席を陣取った。
あなたが入って来れば、ちらと視線をやり。
「ん。私ですか」
こちらにもつまみを、と、あなたに便乗して注文した。
「いやあ、これは場違いだったかなとは思ったんですけどね、ははは。そういうところもお伺いしたほうが、今後のためになるでしょう……長い付き合いになりそうな国ですからねえ。そう言う坊やこそ、」
と言ったところで、改めてあなたを見た。二秒ほど逡巡し、
「いや、失敬。坊やってお年頃じゃあない。もしやここの常連さんですか? よければこの国のことを教えていただけませんかねえ。ご覧の通り新参者でして。とりあえず旅人……、 ……あー、えーと、冒険者? そう、冒険者に向いた宿屋だとか。お礼に一杯奢りますよ」
いかにも人の良さそうな笑みを浮かべる。
坊や、と言われればじろりと視線を向けた。が怒るでもなくフンと鼻を鳴らしてつまみを頬張る。
「……別に、わかってて来てるならとやかく言うことじゃないがな。
あと残念ながら俺は常連じゃあない。あんたと同じ旅人だしここへも来たばかりだ。
こういう空気に多少慣れてるってだけのな。」
エスターの笑みとは対象的に皮肉めいた笑みで口角を上げてみせた。
そうしてこめかみを指でコツ、コツ、と叩きそれは記憶を辿るような仕草
「…ここいらで良さそうなのは雪割ってとこだろうな、……冒険者に向いてるかどうか、は知らねぇが
少なくとも、右も左も分からない奴が身を置いてある程度安全は保証されると見るね」
「おやおや、同輩でしたか。うん、うん、旅は良いものです。若いうちならなおのこと。常世の国には何の御用でいらっしゃいましたか。そのお歳でおっかないところにお慣れでいらっしゃるとは、頼もしい限りで……。
『雪割』。佳い名だ、ぜひお伺いしてみるとしましょう。まだ空き部屋があるとよいのですが。――ということは、お宅も冒険者なんです? それともこれからお成りに?」
ぺらぺらとよく回る舌を乳酒で潤し、取ってつけたように、
「いや、根掘り葉掘り聞きすぎましたかな。すみませんね、私、口から先に生まれてきたような性質でして」
付け加え、肩をすくめた。まったく悪びれた様子はない。
矢継早な男の言葉に今度はじろじろと不躾な視線を浴びせた。
口を開いたが声が紡がれるまで2拍はあっただろう
「御用…か」
へ、と短に笑う。それは皮相に。
「特に決めたものは無いんでね、言う通りさ… 旅は良いもの、だ。
ここは俺の知らない文化もあるし興味は唆られる、冒険者は手っ取り早い"ついで"だよ…けれど
慣れちゃいるがね、体力にゃからっきし。頼もしいなんてもんでもない───が
あんたはどうだい?
若気の至りなおのぼりなんて薄い人生送っちゃいないだろ」
曰く、お前も慣れたものなのだろう と。
薄い人生? 盃を置いた。テーブルに肘をつき、小首をかしげ、けらけら笑う。
「青い春は遠い昔、至れる若気もありませんで。
常世の国はすばらしい。蒼海の国にも道行きで寄りましたけどねえ、まったくあの国の辛気臭いことときたら……ここなら人も十分、仕事もあるうえ、いわゆる『霊素』もたっぷり、『奇跡』すらある。私にとっても、たいへん興味深い国ですよ」
薄ら笑みを浮かべ、目を細めた。
しかしそれも数秒のこと、ぱっとまた表情を崩し、
「まあまあ! ここは同宿の予定もありますし、お互い仲良くしようじゃありませんか。
私はエスター・ルネ・ガレストと申します。どうぞお見知りおきを。
ぜひとも坊やの名前もお伺いしておきたいものですねえ」
一方的に自己紹介をし、いけしゃあしゃあとのたまった。
男が笑い発する様に目を眇めた。
つまみを漁ろうと手を伸ばせど空になった皿を虚しく弄るばかりで、小さく舌打ちすると手を引っ込める。
「食えねぇおっさんだ。
にしても、霊素や奇跡…ねぇ……、どうやら分野は同じかもな」
カマをかけたもののあっさりと躱されたようで面白くない、腕を組んで壁へと背を預けるが
その間にも相手の観察はやめられず、警戒というよりは性分なのだろう。
「ああ、どうせ顔を合わせるならうまい具合にやっていこうじゃあないか。
俺は七花汕砂(しちか さんざ)宜しくな、おっさん」
なおも坊やと投げかけられた一種の仕返しなのだろうか、妙に力強く言い締めた。
「シチカ・サンザ君。覚えましたよ、以後よろしく。あはは、おっさんだなんて、親しげに呼ばれると照れますなあ」
にこにこと頭を掻いた。
酒杯を干し、二人分の代金をさっさと払うと立ち上がる。
「では、私はその宿に行ってみることとしますよ。どうぞごゆっくり。酒ばかりではなく、精の付くものを食べた方がよろしいかな? いささかお顔の色が優れないようだ……お若いのに」
それでは、また。
男は帽子を被り、会釈して、杖を手に立ち去った。