noratetsu
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2023/09/09 (土) 17:04:39
第百三十三回:Tak.さんと文章の書き方について - LISTEN
第百三十三回:Tak.さんと文章の書き方について - 知的生産の技術
面白かったです。
Podcastそのものとは関係ありませんが、LISTENの文字起こしが結構暴れていてちょっと可笑しい。途中で突然話者の名前に「おだしょー」とか「知事」とか表示されていたり。でも目次はすごい。
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コウさんのご投稿とアウトライナーについて。
コウさんと同じ気持ちかどうかは全然わかりませんが、私の経験では、「アウトライン」というのは書けない時に憧れとして頭に浮かぶ概念でした。要は「魔法の杖」を「アウトライン」と呼んでいるみたいな心境です。こう、ビシッとスパパパッとやれたらいいのに!みたいな。(私の場合はです。コウさんもそうということではないです。)
「ムラがある」とは如何なる状態かということの方がアンテナに引っかかったので、私はそちらに注目してトンネルChannelに書いてみました。
14:28~ フリーライティングではなくフローライティングでは、のくだり
私も「アウトラインを使わずに書く」ということは日常的にしていますが、それはフリーライティングとは考えてないですね。
文が文を生むという反応に依存しているということなので、「依存」ですからフリーじゃないというか。
その中でも書く時の頭の働きをフリーライティングに「寄せて」、脱線を増やすということはあります。生成AIでランダム度を調節するみたいなことです。そうしてみると、脱線が増えるとともに、核心への気づきも増えるように感じます。枝分かれもしますが幹も太くなるというイメージです。
20:57
ちょっと笑ってしまいましたが、作家が「書けない時は書けない」と言ってくれることには安心感がありますね笑
「ムラがある」ということには別に向き合うべきことが多分あって、ツールや方法論の問題じゃないような感じがします。それが後半の欲望の話に繋がりますね。
21:56
これは私もまさにそうです。なので、何度か言及していますが、Tak.さんがアウトライナーでやっている、文節単位で項目を改めておいて操作して納得するまで入れ替えるみたいな発想は全くありませんでした。最小単位は単語でも行でもない…というか、最小単位というのがないのかも。
文と文が有機的に繋がっているので、一箇所変えると周辺全部見直して変えなきゃいけなくなる感じがあります。書き直した方が速いと感じることもままあります。
たまに文と文を入れ替えることはありますが、それはその都度コピペすればいい程度の頻度なので、ショートカットキーでパパッとやれたらいいのにと思うほどではない感じです。
23:47
26:18
今回最も興味深かったのがこの部分です。
自分の文章がつまらないと感じた結果そういう工夫に繋がるということにかなり仰天しました。
同時に、あの飛躍はそうやって生まれるからああなるのか、ということに納得しました。その飛躍のミステリアスさに憧れを抱いてきたのですが、多分自分がやろうとしていた努力ではこれは実現しなかったなと思いました。でも手法として真似し得ることだというのがわかったので、逆に自分に取り入れられる可能性は見えてなんだか気持ちが軽く自由になった感じがします。
素朴な疑問ですが、Tak.さんの喋りはずっと面白いと思っているのですがご本人の感覚としては話すのと書くのとで大きく違っていたりするのでしょうか。
24:23
28:43
私もそうですね。リニア型の書き方というのはつまりそういうことなんでしょうか。流れで書くということは結局流れを生むと決めて流すということで、書くというテンションで臨むのは大前提というか。
多分流れで書いてしまうことができない人からするとこの「書くと決めて書くんだよね」というスタンスは羨望の対象になるのではと思いますが、「流れで書ける」イコール「書くことが流れに依存してしまう」ということで、任意のタイミングで取り扱うのが難しいとか編集が難しいとかいうことになるのだと思っています。
あらゆるものを流れにできる超能力を持っているか、流れをコントロールする術を自分で開発するかしない限り、「たまたま巡り合った流れに乗る」という博打性から逃れられないと感じています。
34:30
そうそう、そうですよね。いつも「枷を外す」というイメージを持っています。ノウハウは界王拳でもバイキルトでもヘイストでもなく、つまりバフではなく、デバフ解除の助けなんだと思います。
だから、誰でもすごい人になれるみたいなのは信用できませんし、どちらかというと「本来の自分になることそのもの」を喜ぶ気持ちが必要だろうなと思います。その結果すごいかどうかではなく。
41:05
「書かねばならぬ」が先にあって、そのために方法というのが見いだされるものだろうなと私も思います。ツールやノウハウというのは「どう実現するか」の助けになるもので、「何を実現するか」がなければ使いようがないですよね。
で、私は「ブログの書き方ド下手問題」で本当に真剣に考えたのですが(Noratetsu Lab: ブログの書き方ド下手問題①~世に訴えたいことはないのだが私は書きたい~)、「書かざるを得ない」「書かずにはいられない」という思いは確かにあっても、そのエネルギーをどう出していくべきかというのはすんなり定まるとは限らないのですよね。
①「何か書かねばならぬ」→②「○○を書かねばならぬ」→③「これを使って○○を書くべし」という過程の、②からスタートする人もたくさんいるわけですが、①からスタートしている人間が、②からスタートしている人の話を聞いて③に行ってしまおうとしても、②を飛ばしているわけなのでどうにもならないということがあると思います。
自分は「書かざるを得ない」タイプの人間であるはずと思いながら、具体的に書かずにいられないことはないという時、やはり自分の欲望に深く潜っていく必要があると感じています。
45:07
これは大事ですよね。本当に大事だと感じます。
私も物事がうまくいっていた時というのは「やれと言われたんならやれるんだろうからやる」という風にやれていたなと思います。でも人生が下り調子になった頃からこれができなくなっていきました。
53:54
これって本当にそうですよね。そうだから、賢明で慎重ならいいのかっていうとそうでもないという。
ある種愚かじゃないと前に進めない。
57:46~ 脱線について
あー、脱線の感じに関しては私はTak.さん寄りなのかもしれない。
私は前の文に依存して次の文を生み出すタイプですが、ひとつの文に依存して複数の文を作ってしまうことがたくさんあるので、それはとりあえず全部書いてしまって、今必要ではないものは取り除くことになります。
その取り除いたものは何らかの形でどこかに使うことを目指しますが、手前の文に依存していることは変わらないので、それを別な場所で使うにはかなり苦労を感じます。でもそうすることがないわけではありません。
あと自分のブログなら、脱線してもまあ接続詞を駆使して本筋に戻して、何が本筋かを強調し直せばいいやと思うので、そのまま書いてしまうことがあります。それが良いのか悪いのかはわかりませんが、自分にとってその方が面白いので、そうしてしまっています。
1:04:00あたり~ 欲望について
あー、私はもう自分の深淵を探るのが当たり前になっているけど、まあ確かに危ないことでもあるのか…。
私自身、自己を知らなければ遅かれ早かれ死ぬ、という極限状態を経たのでそれが習慣になっているだけで、もしのほほんと生きていけたならそんなことやってないんだろうなあ。
だから「自己に問うべし」ということを本当に毎度のように、あらゆる記事で書いているかのように繰り返し書いているけど、その意味が通じるかっていうと、多分私が思うようにはすんなり通じないんですよね。
こんまりについて
私はかなり感銘を受けた…というか、まあやましたひでこさんとか辰巳渚さんの著書を読んでいたので核にある価値観は前から知っていたことだったんですが、やはり「ときめき」という表現のパワーに心底感嘆しましたね。
私自身が「ときめき」で開眼したというのではなく、「ときめき」という言葉によって「自分の物と対話する」という観念を世界に一撃で叩き込んだということにただただ圧倒されています。
面白かったです!