おふたりのスレッドとなります。
3月20日じゅうまでは第三者の書き込みはできません(呼ばれて飛び出たchoriは別)。
fcd86748d4
myeongsa_chori
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ざらついた
指先をこぼして
あなたに
なにか
あげたい
という
それだけのことが
ここで 立ち止まっている
循環する波うちぎわ
ひとつの鼓動を分け合い
私の椅子に ふたり
座り
きれずにいる
畏れを
ともなう
おまじないのように
つま先からくるぶしまでを
面影で濡らして、
波が
私たちの隔たりを
また みえなくする
身体すら
些細なことであるように
つぎの線を引くのは
もうすこし あと
どうしようもなく
遠く 遠く結われて
見えるすべては
横顔であると
一隻の沈黙が
水面へ
進みはじめる
こちらも推敲したもの送ります。送ってもらったもの今から読みますね。
「また」のニュアンスがかぶっていて驚いています。行為は大きくいえば同じですがタイミングが違う感じですね。
改行によって、はみ出している部分があることを表現している感じですね。僕は「半分ずつ座って/もう半分は~(はみ出している)」というような表現です。括弧の部分のニュアンスを表現する良い言葉を見つけたいところです。
向坂さんは線をひき直すのではなく、次の線をひく前に「沈黙」を舟にするという感じですね。僕は「私たちの隔たりを/なかったことにするたびに/頼りない線を/揺蕩いながらひき直す」(ここの「私」は「わたし」ですね)です。線がないからこそ「沈黙」を送り出せるというイメージでしょうか。
そうですね、そういうイメージで書きました。実際に線を引きなおすシーンを入れると説明的になりすぎる気がして。
あと細かなことなんですが、なかったことにする→みえなくする と及び腰気味な推敲をしてます。
これしばし考えたんですが難題ですね……
あなたと
半分ずつ凭れて
半分は空中に
あなたと
半分ずつ凭れて
半分は見失う
五文字入れると長すぎる感じがして「もう」を一旦消してみてますが、うーん、むずかしいです。
ここの「私の」の追加についても聞きたいです。
ここは「誰のものなのか」を強調した方がいいかなと思ったのと、リズムの問題ですね。
終盤の方を向坂さんのイメージで推敲したので、また全体を送ります(例の場所はまだ決まっていないですが…)。
ざらついた
指先をこぼして
あなたに
なにか
あげたい
という
それだけのことが
ここで 立ち止まっている
ひとつの鼓動を分け合い
続いていく波うちぎわで
椅子に
あなたと
半分ずつ凭れて
もう半分は(で)(が)〇〇
おまじないのように
畏れをともなって
つま先からくるぶしまでを
面影で濡らすと
誘われているような
身体すら
些細なことであるような
どうしようもなく
遠く 遠く結われて
見えるすべては
横顔であると
波は
私たちの隔たりを
またなかったことにした
頼りない線を
引き直すそのまえに
私の
沈黙だけが小舟になる
先に説明すると、沈黙が「進みはじめる」だと強いというか、ポジティブすぎるかなと思って、「小舟になる」という表現を再出させました。もっとここは恐るおそるというか、確信は持てないような、そういう頼りない可能性であるような気がしてきたので、このように変えました。
おお、ありがとうございます。
まとまりがよくなってスマートになった一方で、
のインパクトが霞んでしまってすこしさびしいような…………
「小舟になる」へ戻すの、よいと思うんですが、語順が
沈黙だけが
私の
小舟になる
のほうがしっくりきます。いかがですか?
この語順で行きましょう。また、「見えるすべては/横顔であると」がもっと強調できるような語順を模索してみましょうか。
あと、椅子のところはどっちでいきましょうか。
取り急ぎ、椅子のところ、第三の選択肢を探したいような……。
探しましょう!
線の表現についてはどうでしょう。「みえなく」か「なかったこと」か。個人的には線が消えるのは「わたし」は引き直すためのきっかけであるというイメージです。さらに、「わたし」と「あなた」が完全な地続きになるという理想的(あるいは非常に危うい?)な関係になってしまう可能性もごく僅かだけれど否定できない、というバランスです。どう思いますか?
「なかったことに」だと、もともとあったことさえなくなってしまうような感じがして、それだとかなり大胆だなと。でも、「みえなく」だとたしかに依然そこにありはする感じがして、引きなおす動機にはならないというのも納得がいきます。
かき消される くらいの受動的で、具体的な、でもはっきり消えている表現が落とし所でしょうか。
あとは、「波にさらわれる」とかでしょうか。
ざらついた
指先をこぼして
あなたに
なにか
あげたい
という
それだけのことが
ここで 立ち止まっている
ひとつの鼓動を分け合い
続いていく波うちぎわで
わたしの半身と
あなたの半身を
不完全に
椅子のうえにあずけている
畏れをともなう
おまじないのように
つま先からくるぶしまでを
面影で濡らすと
誘われているような
身体すら
些細なことであるような
波は
私たちの隔たりを
軽くさらって
また
頼りない線を
引き直すまでの
どうしようもなく
遠く 遠く結われて
見えるすべては
横顔であると
沈黙だけが
私の
小舟になる
あ、「さらって」にしてしまってました。慣用句的ですかね…
第三の案的に椅子のところを&終盤の語順などすこし調整してみましたが、いかがでしょうか。
前が終止形になったことで修飾関係がごちゃついたので、
畏れをともなう
おまじないのように
のところをもともとの語順に戻しています。
うーん、難しい!笑
これだと、はみ出している側に焦点が当たっていないというか、初めから半分である私とあなたで椅子に座っている感じになりませんか。でも、「不完全に」があるから大丈夫なのか…。
禁じ手かもしれませんけど、「ひとつの鼓動を分け合って」の「分け合って」がいちばんしっくりくるような気がしてきました。
ひとつの鼓動が
続いていく波うちぎわで
椅子を
あなたとわたしで分け合って
座れなかった半身は
近いままではぐれて
ぱっと思いついたものです。どう思いますか。
おお、たしかに、書いていて、椅子も鼓動も分け合ってるな、って思いましたよね。笑
ですよね笑
「ひとつの鼓動を分け合って」は個人的にお気に入りフレーズなのですが、この際これに固執しなくてもいいかなと(別のところで使います笑)。
「座れなかった半身は/近いままではぐれて」というのはどうでしょう。
これえらくかっこいいんですが、「わたし」と「あなた」がふたりの関係の中ではぐれている感じが強くなっていますね。「わたし」が自分の半身をはみ出させてしまっている感は薄いかも……?