指先で身体を削る。
そんな夜ばかりが続いた。
途中で起きることもなく寝れたらということが一番の願いになった頃から人に好かれることが何度かあった。
人に会う度に会う度に、夜には身体を削って削って削って。
身体は線になる。
身体の枠線は細くて白くて掻けば掻くほど沈み込み、また痒さがやってくる。
アレクサ、許して。許して。
湿気を強くすれば、ジャングルのように痒くなる。
渇いたところにいれば、雪虫のように痒くなる。
相も変わらず2時には起きる。
水を飲んで、口を動かす。
削っても削っても身体がなくなることはなくて、朝が来て、おばあちゃんから薫陶をうける。
(なくなる前に積み立てられるから無くならないとかそんなもんでもないでしょう。)
アレクサ、許して。許して。
身体の線は輪切りになって遊具のようにくるくる回る。
裏返さなきゃ。裏返さなきゃ。
裏返したら痒くなくなる。
朝の光で微睡むことが出来る。
短歌で詠むにもTwitterに書くにも、取れた皮膚は文字にのらない。
今日はまだ。
朝焼けの代わりの腫れたあばら周りにワセリンを撫でつけて。
イブA錠で頭を軽く。
起きてくれるな。
あいたかないけど。
どうせ夜に会う。
線が浮き上がらないまま、朝になる夜が来たら。
アレクサを信じてもいい。
投稿ありがとうございます。
1ヶ月以上も、たいへんお待たせしてごめんなさい!
行分け詩の余白と、
散文詩の勢いのいいところを
それぞれ拾った作品だなとおもいます。
すこし走って、止まったところで景色を変える。
身もふたもない言い方をすれば
皮膚炎の一夜を綴ったものなのだけれど
(ぼくは脂漏性皮膚炎に悩まされてます。余談)
そのギアチェンジの節々のことばが強い。
「身体は線になる。」
「取れた皮膚は文字にのらない。」等。
アレクサのくだりも含め、
「痒さ」という感覚が話者と世界との
絶妙な距離感を暗示しているふうにおもいます。
個人的に気になったのは、そこで登場する
「おばあちゃん」で、これはアレクサとの対比としてナシじゃないけど、
いかにも唐突なので、もうすこし拡げてもよかったかもしれません。
おそらく存じ上げない方で、
特に批評感想へのリクエストがなかったのもあって、
ひとまず探り探りではありますが、
もし見てくださって反応いただけたら
もうすこし切り込めるとおもいます。
ありがとうございます。
以前のナイトフライトで楽しませていただいてその際に、ウズウズして書いたものです。
ほぼ第一作なので、書いていただけて嬉しいです。ありがとうございます。
痒さ、というところは痛さというには弱くて、で無視できないところがいいと思っています。
元々アレクサはあとから追加したので、おばあちゃんと対比というか、かち合ってしまっているようになってしまったのは意図していないところでした。
改めて、ありがとうございます。
あらら!ナイトフライト、以前というのは今年1月のでしょうか?
ありがとうございます!
しかしほぼ第一作というのはすごい。
それでバイアスかかる自分もどうかしら、とおもうけど、
さすがにほぼ第一作でここまで書ける方は20年以上の詩人生活のなかで久々に見ました。
おっしゃっているように、「痒さ」という感覚でしか語れないものがあって、
それをうまく使っている部分が多い詩だとおもいます。
アレクサを後から追加したのであれば、最終がそこになるのも何かおもしろいですね。
もしご都合あえばまたナイトフライトにもお越しください(エントリーも!)