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喧嘩王 謁見の間 / 137

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詠み人知らず 2020/02/09 (日) 00:53:59 修正 >> 136

>> 134でも書いたんだけど、名言がどうのこうの知性がどうのこうの・・・ってのは文字喧嘩界隈で武功を挙げるにあたり求められる文章力や文才にまつわる内部要素として提示したものなんだよな。

なので

名言といわれているものは、その状況・理由などが省略されていて、真の内容がわからないことがほとんどです
良い文章の判断は、読者の知性の有無だけにかぎらないのではないでしょうか?

みたいなことを言われても困惑するというか・・・
こちらとしては

  • "真の内容は分からない or 大した内容が見当たらない文章"に対して『文字喧嘩に必要なエッセンスが詰まった名文だ!』と賛辞を贈るヤツは喧嘩師的に言っちゃうと知性ないよね

ってことを言っているわけなので、しょうじきネジと釘くらいの違いがあるんだよな。
いくらドライバー回しても釘は打てんよ。

とはいえ、わざわざ時効中断の訴訟をしてくれたからには、ザッと洗いなおしておきましょうか。


まず気になったのは「さて、話は変わりますが」の前後でマジ大革命が起こっちゃってること。

  • 良い文章は、読者の知性だけでなく感性による意訳を前提として成り立つ

・・・と語っている前半に対して

  • 文章とは書かれていることがすべてであり、読み手にとって長かったり足りなかったりするのは書き手の落ち度

・・・と、後半では表示主義的な視点で語っている。

とりあえず違和感ハンパないよね。
書かれていることが全てなのであれば、何となくイメージはわくけど真の意味は分からない文章なんてのは、良い文章たり得ないのでは?
「文章が無駄に長かったり、説明不足だったりするのは、実は読み手にそう感じさせてしまう書き手側の落ち度なのです」と言うのであればなおさらだね。

あるいは、大して内容のあることが書かれていないにもかかわらず説明不足感を抱かせない点において名言の良さを評価している・・・みたいな感じだったりする?

まぁ、意訳を尊重するにせよ表示主義的な読解をするにせよ、いずれにしても『良い文章の判断は読者の知性の有無だけにかぎる』なんて一言も言ってないよ。
余韻とか耳障りとか、そういう感覚的な要素の扱いについては「予備知識」ってワードでトピック内を検索してもらえると話の流れを追えるかと思います。

言っちまえば結局のところ文章の良し悪しなんてのは人それぞれなんだよ。
梅沢名人が詠んだとある俳句を、良いものだと思うかどうかは人それぞれです。
ただ、体言止めとか比喩とか倒置法とか、季語とか七五調とか、予備知識として他者と共有可能な「体系化された評価軸」ってのはしっかり存在しているわけで。
例えば先日のプレバトでは、勢いよく吹き抜ける風というのが本来の意味である「春一番」という季語を、そよ風だと誤解して使ってしまった谷崎潤一郎が凡人の烙印を押されていました。ついでに梅沢は星3つに降格しました。
これに関してはもう知性の領分でしょう。

『人それぞれな感覚的評価軸』については、結果論的に良い文章と良くない文章に分かれるだけなのであんまり参考にならんよね・・・という扱いをしているだけであって、知性による判断との間に優劣関係を設けたつもりはないよ。
谷崎サンも仰っているように、答案として機能せんのだわ。


これが、『1を語って10を悟らせるもの』の正体だと思います

まぁ・・・うん・・・ソクラテスの名言を読んで、本当に10まで悟れたなら別にそれでいいというか・・・大変ありがたいことだとは思うけど・・・
参考までに、どんな内容を悟った(あるいは、悟る人がいると思う)のか聞かせてもらえませんか?

今回は"洗いなおし"なのでもう一度説明しておくけど
俺的にはそういう「名言から悟った!」的なやつって、冷静になってよく考えてみたら実際ほぼ何も悟れてないってケースが大半だと思うんだよなぁ。

生きるために食べろって言われて、例えば俗に言うワープアな人たちが転職する覚悟を決めたりユーキャンの資格講座に通いはじめたりするキッカケにはなったりするかもしれないけど、別に何かを悟ったわけじゃなくね?
人生を良くするため働いているのであって、労働するために生命を維持しているわけではない・・・なんてソクラテスの名言を読む前から本人たちも分かり切ってるでしょう。
キッカケや啓発としての作用は大いに認めるけど、「悟る」は言い過ぎだよ。しかも「10まで」って・・・😅


文章が無駄に長かったり、説明不足だったりするのは、実は読み手にそう感じさせてしまう書き手側の落ち度なのです

文章の長さの「適量」はどこなのか、説明の粒度の「適量」はどこなのか、って問題になってくるね。

  • 一般的に文章ってのは特定の個人に宛てたものではなく、その文章を目にするであろう不特定多数の読者を意識して書かれていると留意する必要がある
  • 「相手がどのくらいの予備知識を持っているか」なんて書き手は把握しきれないので、読み手の層を広めに見積もっておく必要がある
  • わざわざ狭い範囲の人しか理解できない文章を書かなきゃいけない理由なんてない

この辺をもう一度しっかり読んでほしい。

「今から話す相手は高校生である」と事前に確定している家庭教師がわざわざ四則計算のイロハから説明し始めるのは「適量を超えている」ので無駄に長い説明と言われても仕方ないだろうけど、どの程度の予備知識を持っているか定かではない不特定多数の読者を想定して書かれた文章に「無駄に長い!」って評価を下すのめちゃくちゃ横暴じゃね?

「今から話す相手は小学生である」と事前に確定している家庭教師が説明もなく関数のグラフを用いるのは「適量に届いていない」ので説明不足と言われても仕方ないだろうけど、どの程度の予備知識を持っているか定かではない不特定多数の読者を想定して書かれた文章に「説明が足りていない!」って評価を下すのめちゃくちゃ横暴じゃね?

「自分にとって丁度いい分量じゃないからダメ!」みたいな横暴な審美眼を持つ知性なき読み手が、喧嘩界隈には溢れかえっていると日頃から感じている所存です。

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