>> 23
なるほど・・・
この世界の99%の事象を物理法則で説明できるのに、1%だけ説明できないっていうのは剃り残しのごとき不快感があると。確かに。
それは全身脱毛したくなる気持ちも分かります。
パソコンを接続する場合、手っ取り早いのは有線接続です。
自分の脳みそと他人の脳みそを神経で繋いじゃえばいいわけです。
おお・・・!
実は、前レスを書いているとき、途中まで僕も全く同じアイデアを書いていました。
僕はニューロンのBluetooth機能と書いてましたが。
なぜ投稿前に当該内容を削除したかというと、
「それって一つの主観を拡張してるだけじゃね??」と思ったからです。
例えば、猛獣が闊歩する危険なサバンナに超絶有能な詠み人知らずさんと超絶無能な僕が背中合わせで立っているとします。
超絶有能な詠み人知らずさんにとっては、
「やべぇ、こいつ(野良)マジ使えねぇ・・・猛獣が来ても即時報告してくれるか心配だわ・・・😨」
と気が気じゃないわけです。
そこで、お互いの脳内にあるニューロンのBluetooth機能をONにすると、詠み人知らずさんの主観にはたちまち僕の目から見える光景が映し出されます。
ヒトの視野角は水平方向で200°程度だと言われていますが、Bluetooth機能によってなんと360°見えるようになるわけですね。
詠み人知らずさんは「よっしゃ、これでどこからライオン来ようがゲットなんやぜ!!👹」とマサイ族よろしくピョンピョコ飛び跳ね、マサシ族としての矜持(様々な)をアフリカの大自然に見せつけるのです。覚醒剤所持を疑いますね。
このとき、詠み人知らずさんと僕の主観は共有されるわけですが、
詠み人知らずさんの立場から言えば、視野角が200°→360°には広がったものの、
「僕の視界が広がったかどうか」は分かり得ないわけです。
結局、僕に「主観があること」は詠み人知らずさんの主観では観測できませんよね。
ホーガン姉妹の例にも同様のことが言えます。
自分の顔の隣にくっついている顔の目から見える光景が、自分の主観に映し出されていることから、
「クリスタ(あるいはタチアナ)も同じ主観を持ってんねやろな~👯♀️」という予想は彼女らにできるものの、
同じ主観であるという保証はないわけです。
🔴←クリスタにはこう見えているものが、
🔵←実は、タチアナにはこう見えているかもしれません。
その可能性を否定できませんよね。
なぜなら、他者の「主観」を観測できないから。
ホーガン姉妹のように、それぞれが違う自分の身体を持っている、という非対称性があるならなおさら。
それにしても、一体どんな五感になってるのか気になりますね・・・。
クリスタがカレー食ってる傍らでタチアナがウンコ食ってた場合、
夢のウンコ味カレーおよびカレー味ウンコが同時に完成するというのでしょうか・・・。(ホーガン家の皆様、本当にすみません・・・w)
お手数おかけしますが、前レスの疑問②にだけはご回答いただきたいです。。。
自分事で恐縮ですが、自分が現在最も関心を持っている点なので・・・。
一応、再掲しておきます。
「自我の習得」と「アクセス意識の発生」の間に相関関係がある(同時に習得していく)、ということなら納得できるのですが、
詠み人知らずさんの
・じゃあ概念はどうすれば習得できるのか?というと『700nmの波長が入力されたとき「赤い」と分析してる自分自身』を自分自身で認識する機能が糸口になると俺は思ってる。
・そのために必要となるのが『「現象そのもの」を認識するために必要な物理的条件(量や規模など)をxとしたとき、xが閾値を超えている状態』ってな感じに考えております。
を読むに、「アクセス意識の発生」⇒「自我の習得」、前者ができたから後者ができるという因果関係があると考えておられるように解釈できるのですが、どのように因果関係があるのか、可能なら言語化していただけると嬉しいです!
僕は基本的に筆者優位の考え方なので、
読者が理解できなかった場合は筆者が悪い、と考えてます(勿論喧嘩の場合は別ですが)。
なので、質問の意図がわかんねーよ!という場合は遠慮なくお申し付けください。
広げまくった風呂敷のうえで居眠りしちゃって申し訳ない。
ひとまず優先事項(疑問②)から見ていきます。
因果関係というわけではないのですが、そのほうが剃り残しは少ないよねって感じです。
われわれ人間においてアクセス意識の発生と自我の習得がどのような順序で起きているのか、その実際のところについて素人の俺は「科学者ガンバレ~」としか言えませんが、人為的な手段で人工知能に自我を搭載させようとするならアクセス意識の構築が先立つのではないかな?とは思っています。
唯物論的な視座から創造論の受け入れを試みてる感じですかね。
>> 20では哲学的ゾンビのローエンドモデルとしてsiriやpepperの機畜に登場してもらったわけですが、「現象的意識しか持っていない存在」って端的に言ってしまえば電卓や路肩の石ころと同じだと考えています。
物理的な複雑さの程度に違いこそあれど、本質は同じだと思うのです。
付喪神とかそういう話はさておき、石ころがクオリアを持っているのかどうかはまちゃはるが哲学的ゾンビであるのかどうかを見極めるのと同じくらい難しいわけです。
というわけで、これもパソコンの話に置き換えるならHDDに保存されているデータを自分のCPUで読み取るのが現象的意識の発揮と呼べるわけですが、そのパソコンに自我を搭載するならば「いまHDD内のエロ画像を読み取っていることを認識する機能」つまり「エロ画像を読み取っているCPUは自分であると認識する機能」が必要になるのではないでしょうか。
マジでその通りですね・・・
いくら自我搭載型のパソコン同士をLAN接続したとしても、結局のところ共有HDDから引っ張ってきたデータを処理するCPUが自我の拠り所になるという意味では「もう片方のCPUに自我が搭載されてるか」は確かに分からないですね、マジその通りだと思います。
ただ、そうなってくると気になるのが脳分離の人に見られる症状です。
右脳と左脳を物理的に分断されてしまうと「右脳が見たものを左脳は見ていない」という状態になってしまうわけですが、では意識はどうなるのでしょうか。
右脳にとって、左脳は哲学的ゾンビかもしれない存在になるのでしょうか?
「物理的要因によりクオリアも分断された」と解釈するほうが、やはり個人的にはしっくりきます。
分断が可能なら統合も可能なんじゃないかな、と思ってます。
そもそも「意識」というものに明確な境界があるのかどうかも曖昧じゃないですか。
赤ん坊の例によると自我は後天的に習得するものですし、結合双生児の場合は別々の意識を持っているにもかかわらず何の支障もなく体の主導権を融通して行きたい方向に歩けると聞きます。
産まれる以前からそういう状態だったので、もはやそれが当たり前の感覚なんだとか。
われわれ人間が「ムカデが歩くときの足を動かす感覚」を意識できないのと同じように、足の本数や可視光の波長域、あるいは脳の数にあわせて、適した鋳型にハマる感じで後天的にアクセス意識および自我などが形成されているのではないでしょうか。
まさか>> 1の人が伏線になるとは思っていなかったのですが、ブラフマンとアートマンのような感じかもしれません。
テレビに映っている福山雅治とそれを見ている俺は、事実上は別の母親から生まれた個別の存在だけど、分断された右脳が俺になって左脳が雅治になったと考えても本質的には同じだと思うわけです。