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哲学的雑談 / 26

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詠み人知らず 2019/12/12 (木) 02:08:54 >> 25

広げまくった風呂敷のうえで居眠りしちゃって申し訳ない。
ひとまず優先事項(疑問②)から見ていきます。

「アクセス意識の発生」⇒「自我の習得」、前者ができたから後者ができるという因果関係があると考えておられるように解釈できるのですが、どのように因果関係があるのか

因果関係というわけではないのですが、そのほうが剃り残しは少ないよねって感じです。
われわれ人間においてアクセス意識の発生と自我の習得がどのような順序で起きているのか、その実際のところについて素人の俺は「科学者ガンバレ~」としか言えませんが、人為的な手段で人工知能に自我を搭載させようとするならアクセス意識の構築が先立つのではないかな?とは思っています。
唯物論的な視座から創造論の受け入れを試みてる感じですかね。

>> 20では哲学的ゾンビのローエンドモデルとしてsiriやpepperの機畜に登場してもらったわけですが、「現象的意識しか持っていない存在」って端的に言ってしまえば電卓や路肩の石ころと同じだと考えています。

  • 1のキーを押下されたら液晶部分に1と表示する電卓
  • 蹴飛ばされたら運動エネルギーを失うまで転がる石ころ
  • 雅治とハシカンのデートを背後で羨ましがっている野良さんの表情を、網膜や視神経を通じて受け取る俺の脳

物理的な複雑さの程度に違いこそあれど、本質は同じだと思うのです。
付喪神とかそういう話はさておき、石ころがクオリアを持っているのかどうかはまちゃはるが哲学的ゾンビであるのかどうかを見極めるのと同じくらい難しいわけです。

というわけで、これもパソコンの話に置き換えるならHDDに保存されているデータを自分のCPUで読み取るのが現象的意識の発揮と呼べるわけですが、そのパソコンに自我を搭載するならば「いまHDD内のエロ画像を読み取っていることを認識する機能」つまり「エロ画像を読み取っているCPUは自分であると認識する機能」が必要になるのではないでしょうか。


このとき、詠み人知らずさんと僕の主観は共有されるわけですが、
詠み人知らずさんの立場から言えば、視野角が200°→360°には広がったものの、
「僕の視界が広がったかどうか」は分かり得ないわけです。

マジでその通りですね・・・
いくら自我搭載型のパソコン同士をLAN接続したとしても、結局のところ共有HDDから引っ張ってきたデータを処理するCPUが自我の拠り所になるという意味では「もう片方のCPUに自我が搭載されてるか」は確かに分からないですね、マジその通りだと思います。

ただ、そうなってくると気になるのが脳分離の人に見られる症状です。
右脳と左脳を物理的に分断されてしまうと「右脳が見たものを左脳は見ていない」という状態になってしまうわけですが、では意識はどうなるのでしょうか。
右脳にとって、左脳は哲学的ゾンビかもしれない存在になるのでしょうか?
「物理的要因によりクオリアも分断された」と解釈するほうが、やはり個人的にはしっくりきます。
分断が可能なら統合も可能なんじゃないかな、と思ってます。

そもそも「意識」というものに明確な境界があるのかどうかも曖昧じゃないですか。
赤ん坊の例によると自我は後天的に習得するものですし、結合双生児の場合は別々の意識を持っているにもかかわらず何の支障もなく体の主導権を融通して行きたい方向に歩けると聞きます。
産まれる以前からそういう状態だったので、もはやそれが当たり前の感覚なんだとか。
われわれ人間が「ムカデが歩くときの足を動かす感覚」を意識できないのと同じように、足の本数や可視光の波長域、あるいは脳の数にあわせて、適した鋳型にハマる感じで後天的にアクセス意識および自我などが形成されているのではないでしょうか。

まさか>> 1の人が伏線になるとは思っていなかったのですが、ブラフマンとアートマンのような感じかもしれません。
テレビに映っている福山雅治とそれを見ている俺は、事実上は別の母親から生まれた個別の存在だけど、分断された右脳が俺になって左脳が雅治になったと考えても本質的には同じだと思うわけです。

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