ちなみに二日酔いも秒で治ったりするぜ(生涯で一度だけ、二日酔い解除するために点滴もらったことがある・・・)
マジっすか!これは良いライフハックを聞いてしまった。
これで飲酒をセーブする必要なくなったぜ!ありがとうございます!!
ましゃ(詠み人知らずさん)の文章前半に「~しまう」という表現が見受けられることから、ましゃは僕が提示した二元論的世界観(物理的世界と心的世界はありまぁす!)に対する共感を試みるも今一つ共感しきれない、という心境なのでしょう。
しかし、それはマーシーが完成度の高い唯物論的世界観のなかで生きているからなのだろうと思います。
対して僕はマサシと違い、唯物論的世界観を持ちながらも、この世界に「主観」が存在することにどうしても納得がいかないのです。
この世界のあらゆる物理的現象は、僕たちの主観を通じて観測できるように思います。
等加速度運動であれば、視覚を通じて。ドップラー効果であれば、聴覚を通じて。
では、他者の「主観」は?
電子顕微鏡でしか観察できないノロウイルスも、今年撮影されたブラックホールも、
かつては主観を通じて観測できなかったものが、科学の進歩とともに主観を通じて観測できるようになってきていますね。
では、他者の「主観」は主観を通じて観測できるようになるのでしょうか・・・。
なーんか、そこだけ異次元的で、物理的世界の例外みたいな気がしちゃうのですよねえ。。。
でも、田代さんはそんな気は別にしないのですね・・・。
赤ん坊のくだり、めちゃめちゃ参考になりました。
が、疑問が二つ。
今さっき調べて知った概念なのですが、僕らが「意識」と呼んでいる概念は以下の二つに細分化できるそうです。(詳細はこちら)
・現象的意識 ・・・クオリアのことであり、その意識内容が報告できるかどうかには直接関係がない。
多分、詠み人知らずさんの言う「意識が発生する」に相当。
・アクセス意識・・・他者に報告できる意識内容。多分、詠み人知らずさんの言う「意識を持つ」に相当。
例えばですね、ハシカンとカフェでデートするとします。
詠み人知らずさんは1000年に1人のご尊顔に釘付けで、ハシカンの見目麗しさの理由について夢中で分析するわけです。デート後、詠み人知らずさんが僕に報告できるのは、詠み人知らずさんが必死で注視していたハシカンの唇に関する情報だけです。
詠み人知らずさんの「アクセス意識」にのぼっていたのはハシカンの艶やかな唇のみで、ハシカンの背後に実は僕が座っていて、どれほどニヤけ顔で詠み人知らずさんを観察していたか、なんて毛ほども詠み人知らずさんの記憶に残っていないわけです。
しかし、「現象的意識」にはしっかりと僕の30°に吊り上がった口角が映し出されていたのです。
・・・この二つの区別、詠み人知らずさんの区別と違ったら、適宜詠み人知らずさんの区別のほうに置き換えて読み進めてくださいね。とりあえず、説明するうえで使い勝手の良い単語が欲しかっただけなので。
アクセス意識が生じるために必要なのは、内的な(観測者の)判断であって、外的な物理的条件(量や規模など)ではないのでは?
例えば、新聞紙を読んでいるとき。
集中力が切れて別のことを考えボーっとしているとき、新聞紙の文字はアクセス意識にのぼっていませんよね。
現象的意識にはのぼっているにも関わらず。
ここで、「ハッ!やべっ、集中して読まな!」と判断したとき、文字はアクセス意識にのぼりますよね。
このとき、外的な物理的条件は変化していますか?
「自我の習得」と「アクセス意識の発生」の間に相関関係がある(同時に習得していく)、ということなら納得できるのですが、
詠み人知らずさんの
・じゃあ概念はどうすれば習得できるのか?というと『700nmの波長が入力されたとき「赤い」と分析してる自分自身』を自分自身で認識する機能が糸口になると俺は思ってる。
・そのために必要となるのが『「現象そのもの」を認識するために必要な物理的条件(量や規模など)をxとしたとき、xが閾値を超えている状態』ってな感じに考えております。
を読むに、「アクセス意識の発生」⇒「自我の習得」、前者ができたから後者ができるという因果関係があると考えておられるように解釈できるのですが、どのように因果関係があるのか、可能なら言語化していただけると嬉しいです!
しますよね?分かります。
無論です。
テレビドラマ「ガリレオ」で共演していた柴咲コウさんには、エンディングテーマ「KISSして」で「恋するクチビル」って歌ってるときに僕の唇を想像しながら歌ってほしいですからね。
そして願わくば、彼がそうしていたように彼女の上唇・下唇を交互に僕の唾液で湿らせたいものです。
(余談ながら、個人的には必ずしも福山雅治さんになりたいとは思いません。これは意地を張っているわけではなく、幸福観の話です。ただ、この場で話すと会話の流れが過度にカオスになってしまうので別の機会に提示しようかなと思います。ちなみに、意地を張っているわけではありません。)
・・・なるほど、ましゃの唯物論的視点からの「意識」に関する解釈は理解できました。
だとすれば、ましゃはあのましゃであり、さらに言うと僕もましゃであると。
そして、今こうして僕たちましゃ同士が直接コミュニケーションをとっていること、これは映画「君の名は。」のラストシーンで階段の上から瀧くんが三葉に直接声をかける感動的邂逅そのものであるというわけですか。
何て絵にならない邂逅なんだ・・・
そうだなぁ・・・共感できなくもないんだけど・・・やっぱり唯物論的な解釈のほうがしっくりくる感じです。
>> 13で持ち出した『隙間の神』にもうっすら関係してくるんだけど、いわゆるオッカムの剃刀ってやつで
ご存知かもしれませんが念のため意訳しておくと「同じ結論を示す理屈が複数ある場合、最も簡単な理屈がより正しい」みたいな思考法のことです。
【俺たちには主観があり、自我があり、意識体験がある】という結論を示す複数の仮説のうち
この2つを比較すると、マッサシの剃刀的には前者のほうがより正しい感じがするとましゃは考えています。
まぁ、何だかんだ言ってそこには「しっくりくる/こない」程度の差しかないわけで
もしかすると、単に無意識のうちに未知に対する安寧を求めて剃刀にすがってるだけかもしれませんが😅
この問題に対しても同様に唯物論的な解釈をぶつけてみるのであれば
自分と他者の関係は「ネットワークに接続されていない2台のパソコン」のようなものかもしれません。
他者のパソコンのスペックは、そのパソコンを細かく分解すれば判明します。
でも、分解するだけではHDD内にどんなエロ画像が保存されているのかは分かりません。
自分のパソコンの画面にマーシー秘蔵のエロ画像を映すには、何らかの手段でネットワークを構築する必要がありますよね。
パソコンを接続する場合、手っ取り早いのは有線接続です。
自分の脳みそと他人の脳みそを神経で繋いじゃえばいいわけです。
こんな不思議な話があります。
要点を抽出すると
これって、脳みその物理的な分断にともなって現象的意識も分裂してしまったと見なせないかな?
たぶん左耳(左脳)にしか聞こえないように「これ食べたい?」って尋ねたら、左目でハンバーガーを目視しているにもかかわらず「え?どれ?何の話?」ってリアクション取ると思うんだよ。
一種のキングギドラ状態だ。
また、キングギドラと言えば結合双生児・・・つまりブンカー兄弟やベトちゃんドクちゃんですが
彼らは任意で身体の主導権をやり取りできるらしい。
そしてクリスタ&タチアナのホーガン姉妹のペアは脳の一部分ごと絡み合ってる頭部結合という非常にレアなケースなのですが、それぞれ別の人格を持ったうえで思考や感情を共有し、クリスタがタンスに足をぶつけたらタチアナも痛がって、タチアナの目に映ったものはクリスタも認識できる。おまけに言葉を交わさずにジョークを言いあったりもするらしい。
視界どうなってるんだろうね・・・