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褒め喧嘩 / 38

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KANAME 2020/03/09 (月) 00:10:53 修正

こちらのトピックから抜粋します。

喧嘩師が議論ってダサくね?

はいはい。
言いたいことはすご〜くわかるよ。
ただ残念なことに、「喧嘩」「議論」か、形式に頼りきった判断でしか甲乙をつけられない奴に俺の話はわからんと思う。
はっきり言っておこう。

そんなもんはどっちでもいい。

喧嘩って、路地裏とかでこわーいゴロツキたちが、罵声を浴びせあったり殴りあったりするイメージがあるとおもいます
実際、インターネットで「喧嘩」と調べてみたところ、金髪のニーチャンが胸ぐら掴んで、今にも殴り合いになりそうな動画が出てきました

はい痛いですね。
イキり散らかしてるだけのチンピラ。
承認欲求が溢れんばかりで大変キモいです。

ところが、今日ここで行われている喧嘩というのは、そんな恐ろしいイメージからはほど遠く、論理学だの数学だの、知的な話が数多く見られます
挙句の果てには、議論といった、いかにも健全なやりとりをしているではありませんか!

健全?
専門家からすれば超低レベルな話なんじゃないですかね。
本でも読み漁ってたほうがずっと健全なのでは。

金髪のニーチャンが、喧嘩だと言いながら、親子で参加できて楽しめるボクシングのごっこ遊びをする…

親子で参加できて楽しめるボクシング、実に程度が低い。
そんなものに価値は見出せない。

ともすれば、それらは『ダサい』という理由により廃止すべきでしょう。
何度も言いますが、こういったマクロ的な批判を受けた場合に「喧嘩師」はどうしようもなく無力です。
反発すること自体、滑稽に映ります。
さて、どうしたものか。
開き直ったところで正当化されるわけでもない。

これはもう、引き算していくしかないでしょう?
つまり客観的に言い返せない失態(子供のような喧嘩)を、そもそも最初から一切行わないということです。

人によっては、死刑宣告も同然でしょう。
喧嘩師としてのアイデンティティを奪われるわけですから。

ところが喧嘩界で喧嘩を否定するという営みは、「言論の自由」という庇護のもとに正当化されます。
たとえそれが喧嘩師の自己否定を起こす引き金であったとしても。

そして次に彼らはこう思う。
「そんなガチガチに敷居の高い喧嘩サイトじゃ思うように発信できないし、なんてつまらないんだろう。というかそれってもはや喧嘩サイトなのか」と。

そうです。
まぎれもない喧嘩サイトであり、喧嘩ですよ。
ただし最初にも言ったように「呼び方」に難癖をつけるというのであれば、それはもはや「喧嘩」じゃなくたっていい。

「KANAMEは喧嘩師ではない」

そう考えてもらっても一向に構わない。

喧嘩サイトだとは思えない場所で、喧嘩師とは思えない相手と、喧嘩とは思えないようなやりとりを行う。
それを「つまらない」と思うならそう思うお前の感性に問題があるんじゃね?

俺から言えることは以上です。
ご愛読ありがとうございました。

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