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「引き算喧嘩」を極めるには。 / 15

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KANAME 2019/11/23 (土) 00:16:37 修正

「喧嘩」について語りましょう。

これはサイト開設祝いのプレゼントです。遅ればせながらね。

あ、最後にサプライズも用意してあります!

さて。

ぼくはこれまで喧嘩をするときに、勝ち負けを意識したことがありません。
「喧嘩すること」それ自体が目的だった。

暇つぶしだったり、強いと評判の喧嘩師を困らせてやろうという悪戯心だったり。
たんに面白いフレーズを思いついてそれを書きたかったからとか、
読み返して「読み物」として成立するスレッドを創作したかったからとか。

いつでも読んでくれるひとが楽しんでくれればいいと思っていました。
そうでなければ、ある程度の文章量を書き続けるなんて面倒を誰がするものでしょう。
勝ち負けなんて、ほんとうにどうでも良かったのです。

こういうぼくの態度は、MSN喧嘩部屋時代に天才tinkoさんやスター達から受けた影響です。
(当時を知らないひとには信じられないかもしれないけど、彼らはほんとうにスターでした!)

>特に枝葉末節にまで論証を求めて水掛け論に持ち込もうとする輩と一戦を交えると最悪だよね。

と嘆くけれど、自身がそれに拘泥しなければいいのです。

いつかどこかで誰かと喧嘩したときに、
「そんなことはどうでもいい。『流れ』を牽引する役割に過ぎない」とネタバレした記憶があります。

そう。揚げ足の取り合いとか屁理屈の応酬なんてものは、たんに燃料だったり装飾だったりで、
「喧嘩」そのものではないと思うのです。

だから、ふつうなら舌なめずりして飛びつくような論理的誤謬を見つけても、ぼくならたいてい軽くふれるだけで済ませてしまう。
もっと楽しみな陥穽を用意してあったり、出来上がりの「作品」を汚したくなかったりするから。

ぼくはまた、喧嘩をするときに応酬話法というか想定問答のようなことをしますが、自分自身を上回る論者に出くわしたことがない。
だからどこを攻められたら負けるか、最初からわかっています。
しかしどうにも言い逃れできないところをひっくり返すアイデアさえ浮かべば、もはや最初から勝つに決まっている。
囲碁・将棋の嵌め手みたいなものです。
これも勝つのが嬉しいのではなくて、ひとがまんまと思い通りになるのが愉快なだけです。

こういうのは相手がある程度の力量を備えていなければ成立しません。

>相手と自分との「意識」が合致していないとダメなんだよね。
>お互いの方向性が違うと「勝ち・負け」以前の問題として勝負が成立しないというか。

というのはそのとおりなのですが、それは意識や方向性というよりも
甚だしいバカが相手だとどこにどう転がってゆくか予測不能というに過ぎません。

ゆえに相手を選ぶことになる。
ゆえに相手はいつでも強いと評価されている喧嘩師ばかりになる。

すなわち、ほんとうのところぼくはあまり喧嘩はしていませんが、今日でさえ評価してくれるひとがいるのは、
相手してくれた喧嘩師達の名声のおかげなのです。

ところで、ご参考までに、ここと冷やし猫鍋に最近投稿した「主婦」だの「ぼく」だののレスを、宜しかったら読んでみてください。

これは個人的な遊びでしたが、お気づきでしょうか、実は「喧嘩」です。

自画自賛になりますが、ささやかながら知的興味をそそる専門的情報もあって、読み物としても成立していると思います。
穏やかに雑談しているように見えて、あるいはネタに走っているように見えて、
その意図は、あったまのわるーい中学生でもできる凡百の「喧嘩」への拒絶、冷笑です。

饒舌に、情報量で相手を凌駕する。
こちらがその問題について知悉していることをアピールする。
「このオレ様相手に、低レベルな『喧嘩』を吹っ掛けるなんて恥曝しをできるもんならしてみやがれ!」という恫喝。

ここには勝ち負けも無いし、意識の合致も方向性も関係ありません。
でも同じスレッドに書き込んでいる誰よりも「主婦」や「ぼく」は強そうでしょう?
こういう喧嘩もアリなのです。

勝敗を意識したことがないと冒頭に述べました。

しかし矛盾するようですが、ぼくは誰かに負けると思ったこともありません。

何故なら、ひとよりもたくさん本を読んできたという自負がある。
たくさんの尊敬できる、賢者とでも言うべき先輩や友人がいた。

(中略)

こうしてぼくは無敗のまま喧嘩師を卒業するわけです、むふん。

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