鹿野苑
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2023/10/06 (金) 12:34:55
さて、認識するものが「我」であるとして、ではその認識はいかに生じるのでしょうか?
初期仏教では五取蘊という執着によりその様な認識が生じると説かれていたのでしょうが、その後に意識の問題について考察された時、睡眠や気絶、或いは深い禅定に入った時はその意識の流れは一旦は途絶えるものの、意識が戻ると再びその流れが途絶以前の流れを相続していることからして、意識の根底のなにかしらの識があるのでは無いのかと考えられた訳です。
いわゆる深層の識の発見であります。
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