ところで仏教は「無(非)我説」ですから、実体(常・一・主・宰)としての我は否定する立場であります。
先ず初期仏教では、人を
感覚器官(六根~眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根)
その対象(六処~色処、声処、香処、味処、触処、法処)
その認識(六識~眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)
に分析し、またそれを物質的なものと精神的なものに総じた「五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊)説」によって、そのどれもが「我ではない」という「五蘊無(非)我説」を説いておりました。
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