云うまでもなく、末那識と意識の間に直接的な種子の交換はありません。
勿論、種子が薫習されまた現行されるのは阿頼耶識と他の七識それぞれの関係において為されるからです。
図示してみましょう。
【末 那 識】 【意 識】
現行⇅薫習 現行⇅薫習
【阿 頼 耶 識】
此処では護法の説を取りますが、末那識は阿頼耶識の働きをみてその見分(=五取蘊だとも)を常・一・主・宰の我として、自身の相分に自我の影像を浮かび上がらせそれに執着(我執)するのです。
したがって末那識は意識に対して直接の影響はないのです。
参考文献
『成唯識論を読む』 竹村牧男 春秋社
『唯識三十頌を読む』 廣澤隆之 TU選書
『唯識とはなにか 唯識三十頌を読む』 多川 俊映 角川ソフィア文庫
『唯識とはなにか 「法相二巻抄」を読む』 横山紘一 春秋社
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