仏教のあれこれ

ことばと認識についての少考 / 3

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鹿野苑 2023/09/24 (日) 06:35:40

これは初期仏教の「認識器官(六内処)/認識対象(対境)」の二分法に基づく修道論であり、後代の大乗仏教では、直接知覚とその対象との間に言語的分節(分別)の介在を認める。
初期仏教においても「識は了別することを特質とする」とされるが、これを一歩進めたかたちだ。
(『仏教論争―「縁起」から本質を問う』/宮崎哲弥)

素晴らしい。
さすが宮崎哲弥さんです。

言語による分節が解体されれば直接知覚そのものという理なのでしょう。
即ち識による了別から言語による分節が一旦は解体されるってことだと思うんです。

鈴木大拙先生曰く「山は山にあらず。故に山である」と。
いわゆる即非の論理ですが、まさにこの事を云ってるのかと思うんです。
言語による分節の解体と再構築ですね。

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