鹿野苑
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2023/12/11 (月) 07:07:23
>雖有見分而無分別説非能取非取全無。
(見分は有りと雖も、而も無分別なるをもって、能取に非ずと説けり。取ること全無には非ず)
>雖無相分而可説此帶如相起不離如故。
(相分は無しと雖も、而も此れいい如の相を帯して起こると説くべし。如に離れざるが故に)
>如自證分縁見分時不變而縁此亦應爾。
(自証分いい見分を縁ずる時に変せずして縁ずるが如く、此れも亦た応に璽るべし)
>變而縁者便非親證如後得智應有分別。
(変じて縁ぜば便ち親しく証するに非ずなんぬ。後得智の如く応に分別あるべし)
>故應許此有見無相。
(故に応に此れには見のみありて相は無しを許すべし)
>加行無間此智生時體會眞如名通達位。
(加行の無間に此の智の生ずる時に、真如に体得すれば、通達位と名づく。)
>初照理故亦名見道。然此見道略説有二。
(初めて理を照らすが故亦見道と名づく。然も此の見道に、略して説かば二有り。)
無分別で対象を捉える時、それは能取ではないって云うことでありましょう。
「見分」は見るものとか捉えるもの、主体。「相分」は見られるものとか捉えられるもの、客体。
ちなみに「後得智」は無分別ではなくて分別です。
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