>三苦類智忍。謂智無間無漏慧生於法忍智各別内證。
(三には苦類智忍。謂く、智の無間に無漏慧生じて、法の忍と智を各別に内に證せり)
>言後聖法皆是此類。
(後の聖法は皆是れ此れが類なりという。)
>四苦類智。謂此無間無漏智生審定印可苦類智忍。
(四には苦類智。謂く、此が無間に無漏の智生して、苦類智忍を審定し印可するぞ。)
>如於苦諦有四種心集滅道諦應知亦爾。
(苦諦に於いて四種の心有るが如く、集滅道諦にも、應に知るべし亦璽なり。)
>此十六心八觀眞如八觀正智。
(此の十六の心において、八は真如を観じ、八は正智を観ず。)
>法眞見道無間解脱見自證分差別建立名相見道。
(真見道の無間と解脱との、見と自証との分に法するをもって、差別に建立して相見道を名く。)
>二者依觀下上諦境別立法類十六種心。
(二には、下上の諦境を観ずるに依って、別に、法と類との十六種の心を立つ。)
>謂觀現前不現前界苦等四諦各有二心。
(謂く、現前と不現前との界の苦等の四諦を観ずるに、各二の心有り。)
>一現觀忍。二現觀智。
(一には現觀忍。二には現觀智。)
>如其所應法眞見道無間解脱見分觀諦斷見所斷百一十二分別隨眠名相見道。
(其の所應所應の如く、真見道の無間と解脱見見分の、諦を観ぜし法して、見所断の百十二の分別の隨眠を断ずるを相見道と名く。)
>若依廣布聖教道理説相見道有九種心。
(若し廣布聖教の道理に依って相見道を説かば、九種の心あり。)
>此即依前縁安立諦二十六種止觀別立。
(此は即ち、前の安立諦を縁ずる二の十六種に依って止と觀を別に立てたり。)
>謂法類品忍智合説各有四觀。即爲八心。八相應止總説爲一。
(謂く、法類品の忍と智とを合して説くに、各四の觀有るをもって、即ち八の心と為し、八と相應する止を総して説いて一と為す。)
>雖見道中止觀雙運而於見義觀順非止。
(見道の中には、止と觀を雙べ運ぶと雖も、而も見の義に於いては、觀のみ順じて止には非ず。)
>故此觀止開合不同。由此九心名相見道。
(故に此の觀と止を開し合すること不同なり。此に由って九の心を相見道と名く。)
>諸相見道依眞假説世第一法無間而生及斷隨眠非實如是。
(諸の相見道は、真によって假を説くをもって、世第一法の無間にして生ずといい、及び隨眠を断ずという。実に是の如くあるものには非ず。)
>眞見道後方得生故。
(真見道の後に方に生ずることを得るが故に)
>非安立後起安立故。分別隨眠眞已斷故。。
(非安立の後に安立を起こすが故に、分別の隨眠をば真して已に斷じてしが故に。)
>前眞見道證唯識性。後相見道證唯識相。二中初勝故頌偏説。
(前の真見道には、唯識の性を証し、後の相見道には、唯識の相を証す。二が中には初いい勝れたるが故に頌に偏に説けり。)