仏教のあれこれ

はじめに

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何であれ善く説かれたものであれば、それは全て釈尊の言葉である。
(増支部経典 アングラッタ・ニカーヤ 164.7-9)

鹿野苑
作成: 2023/09/05 (火) 13:09:50
最終更新: 2023/09/05 (火) 14:27:59
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鹿野苑 2023/09/05 (火) 13:21:07

これを善巧方便って云うのだとか。
すなわち
 >仏・菩薩が衆生教化のために設ける巧妙な手立て・手段のこと。
 >(岩波仏教辞典 第二版 より)

なのだと。
ここでは仏教は勿論ですが、古今東西の思想や哲学等様々な視座から仏教についてあれこれを論じてみようと思います。

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鹿野苑 2023/09/05 (火) 13:31:49

しかしながら、論じると云ってもそれは先にいう善巧方便と云うことであり、決してこれが絶対的に正しいという立場を示すものではありません。

 >師は答えた、「マーガンディヤよ、見解によっても、学問によっても、知識によっても、戒律や道徳によっても清らかになることができる、とわたくしが説くのではない。
 >無見解・無学・無知識によっても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる、とも説かない。
 >それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、変化的生存を願ってはならぬ(これが内心の平安である)」。
 >(スッタニパータ 839)

 >わたくしはこのことを説く、ということがわたくしにはない。
 >もろもろの事物に対する執著を執著であると確かに知って、もろもろの見解における(過誤を)見て固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。
 >(スッタニパータ 837)

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ゲストさん 2023/09/08 (金) 19:41:09 ac018@e74ed

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