後期1回目のゼミナール、お疲れさまでした!当日は2週間続けて個人相談のアポを取得できず落ち込んでいた上に、原作を読むことに注力するあまり、アウトラインの修正を進めることができないまま最終中間発表を迎えてしまい不完全燃焼で終わったため、暗いオーラを振りまいてゼミ・メンバー数名に気を遣わせてしまいました…。ももちゃんやちーばちゃん、励ましてくれてありがとうございました(涙)
今回の中間発表では、えいちゃんの発表に特に刺激を受けました。主張の順番を変えることで"So, What?"から脱したときと、先生が「この主張こそが『メッセージ』で伝えたいメッセージだよね」みたいなことをおっしゃったときに、思わず鳥肌が立ちました。私も読んだ人をハッとさせられるような卒業論文を完成させたいです!!
先生からのアドヴァイスを基に、問題提起と主張を以下のように考え直してみました。
【問題提起】映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』の中で映画『赤い河』にオマージュが捧げられていることにはどのような効果があるのか。
【主張】映画『赤い河』の年長者と若者が衝突し和解するという共通点を活かし、観客にフィルとピーターが親密になる幸せな結末を予期させるも、予想を裏切る悲劇的なエンディングを描き『赤い河』に対してアンチテーゼの立場に立つことにより、『赤い河』に潜在している〈有害な男性性〉による問題を一度は解決し、さらに新たな課題を観客に提示する効果がある。
第1章では、1948年製作の西部劇『赤い河』においてダンソンが魅力的に演出されていることに加え、時代背景によって原作からエンディングが改変されていることから、映画『赤い河』は〈有害な男性性〉による問題を黙認していることについて論じます。第2章では、映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』が『赤い河』にオマージュを捧げていることを明らかにした上で、予想を裏切る悲劇的なエンディングを描くことで、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』の現代性を強調し、『赤い河』で黙認されていた〈有害な男性性〉による問題に制裁を下していることについて論じます。第3章では、フィルが〈有害な男性性〉に縛られる理由と解放されていく過程を明らかにすることで、〈有害な男性性〉による問題は第2章で論じた女性や男性らしくない男性に対する蔑視だけでなく、同性愛嫌悪をも生むことについて論じます。主張の「さらに新たな課題を観客に提示する効果がある」と第3章がまだ弱いと感じているので、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』が社会に投げかけているのは何かを追求していきます。さらに、ピーターについてまだ理解を深められていないので、ピーターという登場人物についてもっと分析して深掘りしていきます。自分の頭を整理するためにも掲示板にて書き起こさせていただきました。もし見てくれたメンバーがいたらアドヴァイスをいただけると嬉しいです。
私はまだ後期に入ってから1度も個人相談のアポを取得できていないので、本論獲得OKをいただけるかとても不安です。みんなの個人相談も傍聴させてもらって少しでも本論獲得や本論を書き進めるためのヒントを得ていこうと思います。よろしくお願いいたします!!次週は私もちーばちゃんと一緒に「ゆいくん」いじりができるくらいには気持ちに余裕を持てるように今週がんばります!!ももちゃん、びっきー、なべ、プレゼント気に入ってくれたらいいな…!(特になべが心配です^ ^)以上、長々と失礼いたしました!!