麦タンが張ってくれてる「法華宗真門流HPの十如是の説明文」の中に、
「如是体」とは、前の相と性を兼ね具えたもので、法身仏に配釈されています。「如是力」とは潜在的な能力で、その能力を発揮する動作を「如是作」と言います。そして、善悪の動作が直接原因となることを「如是因」と言います。「如是縁」とは善悪の動作が縁となることで、良縁によって幸せな人生を送る人もあれば、悪縁によって一生不幸に終る人もいます。世の中は全て「縁」が大切です。「如是果」とは、信仰心の有無により、自分の行って来た動作が善悪の結果を生むことで、「如是報」とは、生前における信仰心の有無、善根功徳の有無による善悪の結果が、その報いとなって現れてくることです。
とありますよね。
「十如是」って仏と仏にしか伝わらない「無為法」なんですね。
無為法なのになんで↓〝〟の部分が起こりますか?
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