法介
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2023/08/21 (月) 15:12:23
実は龍樹も世親と同じく「概念を空じる」ということを『中論』の中で説いているのですが、それに気づく人は殆ど居られません。あの中村 元 大先生ですら全く気づかれておりません。
龍樹がそれをどこで説いているのかと言いますと、『中論』の第二章「運動の考察」の第一から第十七の偈です。ここで龍樹は「法空」を主張しているのですが、それを読み取れなかった中村 元 大先生は、龍樹の「法空」の〝法〟の意味を次のように説明されております。
法(ダルマ)は「たもつ」という語源から出た語であるが、後期の註釈によれば、「それ自身の本質(自相)を持つから法である」といわれるに至った。これに対して大乗仏教では反対に「それ自身の本質をたもつことを欠いているから法ではない」と主張する。この「それ自身の本質」を有部は「もの」とみなしたのである。(P.90)
この中村先生の説明は、縁起空をもって龍樹は「法空」を主張したという見解です。
では、実際に『中論』の第二章「運動の考察」で龍樹がどのように法空を主張しているのかを説明致します。
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