法介
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2023/08/21 (月) 04:53:41
次に『唯識』を説いた世親ですが、龍樹の「中観思想」と世親の「唯識思想」がまるで対立するかのように論じる人達がおられますが、唯識理論は中観理論の上に構築されています。ですから、決して正反対の理論ではありません。
ではその『唯識』の特徴についてですが、「中観と唯識の最大の違い」を述べると解りやすいかと思います。
唯識理論は解深密経という経典を出処としますが、龍樹の中論発表からおよそ200年後に発表されています。
これは世親の兄、無着の瑜伽師地論にそっくりそのまま採用され、弟の世親とともに唯識理論が集大成されます。その内容は、龍樹が前五識・第六識までしか言及していないのに対し、唯識では第七識・第八識まで理論が深められています。
理論的には、中論での依存性(縁起)と言葉の虚構性といった表現が、唯識では依他起相(他に依存する存在形態)と遍計所執相(仮構された存在形態)となっています。
依存性(縁起)→ 依他起相(他に依存する存在形態)
言葉の虚構性(仮設) → 遍計所執相(仮構された存在形態)
異なっているのは、中論では縁起に重点がおかれますが、唯識では概念に着手しております。
つまり、私達が「実体」と思っているものは、因縁によって仮合したものにすぎないのに、それを言葉で実体として捉えて表現しているから顚倒妄想が出てくるというのが中観で、唯識では、仮構された存在形態がまず〝概念〟としてあり、対象物を前五識(五感)で認識することで顚倒妄想が生じると理論展開しているわけです。
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