すると今度はこんな事を彼は言い出します。
「モニターは様々な構成要素が因縁仮和合してるのだし、それを認識する者も等しく因縁仮和合しているのだから、実体は無いんです!」
構成要素が因縁仮和合してモニターがそこに存在していて、それを人間が五蘊の働きで認識し、概念でもってモニターとして認識されます。未だモニターという概念の無い一歳児が見てもそこにはモニターは存在しません。それ自体は有るんですが、モニターとして認識されないと考えるのが正しい「空」の理解です。
そもそも「空」を説く『般若心経』では、最初に
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時」
(観音さまは智恵の完成の修行を極められ、それを行う時)
って言っておられまして、これって観音さまのお話なんですね。観音さまって肉体って備わっていると思いますか?
解脱してますので肉体はありません。なので五蘊も当然のように働きません。
ですから
「照見五蘊皆空 度一切苦厄」
五蘊を皆〝空(空っぽ)〟とみなす。(五蘊を空じる)ことで、一切の苦しみや災いから抜け出すことが出来ました。
ここでの「空」は、形容詞と動詞の二つの意味を含んでいます。しかしここで大事な事はそんな事ではないんです。「観音さまの場合は」ということで、我々凡夫は肉体を備えておりますので五蘊は普通に働きます。
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