法介の『ゆゆしき世界』

御本尊に関するお話し / 2

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法介 2023/08/04 (金) 13:17:24

そうしましたら、元コマンダーさんはこのように申されました。

「科学と宗教を分別しているのでは?」

しかし、私が言っているのは、

「科学的に見たら分別。
 仏教的に見たら無分別。」

という事です。

それに対し、元コマンドーさんは

「否定はしない…!
 反論すれば分別した事になる」

と申されました。中々お話が解る方だなと私は感心致しました。

そこえ、リダンさんが次のようなご意見を投稿されました。

「分別した凡夫からみた場合
 個別に阿頼耶識があるように見えます。
 それぞれの阿頼耶識が受信送信をおこない同期しているのか。

 阿頼耶識があって、
 分別した末那識がそれぞれの自我を形成しているのか。」

リダンさん、分別した凡夫を「通教の菩薩」と考えて見て下さい。

菩薩なので阿頼耶識を覚っています。しかし通教という「空」の理解(第二段階の理解)なので、個別に阿頼耶識があるように見えます。

そう考えて天台智顗の四門の料簡(観無量寿経の16観法)の内容を今一度ご確認ください。

14,観無量寿経(その5)
https://butudou.livedoor.blog/archives/17944347.html

<通教の菩薩>
 分別した凡夫からみた場合、
 個別に阿頼耶識があるように見える。

<円教の菩薩>
 分別しない凡夫からみた場合、
 同体に阿頼耶識があるように見える。

空の三段階目の深い理解は、自我を完全に退治して起こる縁起(=空)です。自我を退治することで末那識がニュートラル状態になります。(サングラスを外した状態)これが三段階目の空っぽ、即ち空です。(末那識を空にする)

末那識を空にして阿頼耶識を因として起こす縁起、それが因果俱時で起きる縁起です。

現在・過去・未来の分別が起きませんので、今一瞬の出来事の中に、過去も未来も同時に同体で観じ取ります。

直感的に観じ取ります。わたしはそれを幾度となく経験してきております。(法介伝参照)
この人なんか変だなーて観じた人は後々問題を起こしたり、この人なんか凄いと直感的に観じた人は、後世で偉大な功績を成しえたり、そういうのが直感的に観じ取れるようになっていきます。

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