その「無為の法」が、どのような相で、どういう性を持った諸法で、どういう体を持った諸法で、といったことをいっているのが十如是の文句です。無為法の内容を十項目に分けて紹介している訳です。項目の中に因と果、また縁といった項目がありますので「十如是」を縁起の法門だと思われている方が沢山おられます。学者や僧侶の中にも沢山おられます。
しかし有為の縁起ではなく「十如是」は無為の真理の法なんです。
では、その無為の法がサンスクリット原典の『法華経』では五項目で、鳩摩羅什の『妙法蓮華経』ではなぜ十項目になっているのか、それは「無漏の種子」というお話深く関わってきます。
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