天台智顗の「法華玄義巻七下」の言葉を引用されて、
蓮華という呼び名は、喩えていったものではなく、法華経の法門である「無為法」を指しているのです。法華の法門は、清浄そのものであり、仏になる因行と果徳とを同時に得るといった奥深くすぐれた法門なので、仏はこれを名づけて蓮華としたのです。すなわちこの蓮華が、法華三昧という純一無雑な法華の当体そのものの名前であり、決して譬喩ではないのです。
と紹介されております。そして更に智顗は、こう申されております。
「蓮華」というのは「法の華」それ自体の〝名〟であって決して「草花」を〝譬えて〟言っている訳ではありません。これがまさに『法華経』のことなんです。しかしそれでは人々が理解しがたいので、人間の言葉の〝概念〟に従て草花を譬えとしているのです。
そして『法華経』の「三周の説法」を持ち出して利根の上根の菩薩に対しては「法の華」として説き、中根・下根の二乗(縁覚・声聞)に対しては「蓮華の花という譬え」を用いて説いたと説明されております。ここでいう利根の菩薩とは言うまでもなく、智慧第一と言われた舎利弗です。
法華経の前半部にあたる迹門では「略開三顕一」と「広開三顕一」とからなる「開三顕一」が中心に構成されておりまして、「三周の説法」はその「広開三顕一」にあたります。上根の舎利弗が法説周によって未来成仏の記別を受け、その後の、譬説周・因縁説周によって中根・下根の二乗の成仏が説き明かされます。舎利弗をはじめとする声聞の弟子達はこの三周の説法を聞いて、今まで実践してきた声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の修行が全て一仏乗に集約されることを悟って成仏していきます。
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