法介の『ゆゆしき世界』

法介のほ~『法華経』--- その② / 1

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法介 2023/08/23 (水) 18:58:36 修正

南無妙法蓮華経の蓮華は「当体蓮華」と言いまして「当体」と言いますのは、「実体」に対する言葉で実体は概念によって仮に立ち上がって見える仮設です。その「実体」に対し真実の姿を「当体」と言います。

では真実の姿即ち、真如の無為法としての「蓮華」が如何なるものなのか説明して参ります。

日蓮大聖人は『当体義抄』の中で次のようにこの当体蓮華を説明なされておられます。

現代語訳で紹介します。

「問う、天台大師は法華玄義で妙法蓮華経を当体蓮華と譬喩蓮華の二つの立義で説き明かしている。それでは、その当体蓮華譬喩蓮華とはどのようなものであろうか。

答う、譬喩の蓮華とは、施開廃の三釈に詳しくあるから、これを見るがよい。当体蓮華の解釈については、法華玄義巻七下に「蓮華は譬えではない。当体そのものの名前である。たとえば住劫の初めには万物に名がなかったが、聖人が道理にのっとり、その道理にふさわしい名をつけていったようなものである」とある。また、法華玄義巻七下に「今、蓮華という呼び名は、喩えていったものではない。それこそ法華経の法門を指しているのである。法華の法門は、清浄そのものであり、因果が奥深くすぐれているので、この法門を名づけて蓮華とするのである。すなわちこの蓮華が、法華三昧という純一無雑な法華の当体そのものの名前であり、決して譬喩ではないのである」と。

またいわく「問う、蓮華というのは、はっきりさせれば、これは法華三昧の蓮華であろうか、草花の蓮華のことだろうか。答う、明らかに、これこそ法華経のことである。だが法華経といっても理解しがたいので、草花を譬えとして使用している。利根のものは蓮華の名前を聞いて、直ちに妙法を理解し、譬喩は必要としないで法華経を悟る。ところが中根下根の者は、それだけでは悟れず、譬を用いて知ることができる。そこで理解しやすい草花の蓮華をもちいて難解な当体蓮華を譬えたものである。それ故、迹門において、釈尊は三周の説法にあって、上根・中根・下根の機根にそれぞれにかなうような説法を行った上根のものに約せば蓮華という法の名を中根、下根の者に約せば蓮華という譬えの名を借りたのである。このように上中下の三根合論し、ならべて法説と譬喩説をあらわしたのである。このように理解すれば、誰がこの問題でどうして論争するであろうか」と。」

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