あ、ごめん、気付いてなかった。1942年の米は零戦の視界を褒めてたよ。だからそこは争いのない事実。強度も、当時の日本ではなんらかの基準を満たすために枠は多くなってしまったんだろう。そこもだいぶ上で触れてあるよ。ただ、ここでの話は時代が降っても変わらなかった理由だね。↑3の人は枠の多い(減らない)理由を「理由がないから発展しなかった」と説明する。一方俺は「できるならしたかったけどできなかった」と説明する。つまり、「技術が発展すれば同じ基準なら枠は少なくて済む、それはどの国も平等に目指していた」と考えてるから対立してるわけです。結局着地点はほとんど一緒なだけれど、動機が受動的か、能動的かで割れてるんだね。
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