米、戦後独、戦後英、戦後伊:シャーマンからパットン、現在のエイブラムスまで砲手が右で装填手が左、装填手は広いスペースが必要なので空いてる砲手後ろに車長が座る、戦後独もレオ1,2やTAMでずっと同じ配置、英もチャーチルまでは砲手左だけどセンチュリオンからこれと同じ配置、伊太利もこれ
ソ、戦後中国:BT戦車からT62までずっと砲手が左、装填手が右、車長席は色々だけど自動装填装置付きのT-64以降は空いた装填手の場所の右側に車長が座る。中国も自国戦車は同じ
戦後日:61~74は米と同じ、90になって自動装填装置がついた時に車長をそのまま砲手を左に動かし、10にもそれが踏襲
仏:途中まで戦後日と同じ、amx-30から自動装填のルクレールになったタイミングで元装填手の左スペースに車長を移して砲手は右、結果的にこれがほぼ唯一車長が左の事例となった。
て感じかしら、こうなると自国の黎明期の戦車の搭載砲の閉鎖機の閉め方がたまたま右、左だっただけに由来する搭乗員の配置が引き継がれてる気がする西側ほぼ全て途中でシャーマンとパットンの血が入って戦中の血脈が断たれてる気がする…特に元枢軸
通報 ...
異論とか例外とか歓迎です!改行上手く出来なくてスペースで誤魔化してごめん!