長文になります。
10歳頃の自分が、褒められて嬉しかった時、思い出せるのは、まさに、昨日素直に受け取れなかった言葉が関係するシチュエーションでした。
その頃の自分の存在価値は、その褒め言葉を言ってもらえるような自分でないと、親には認めてもらえない、見捨てられる、怒られる、嫌われる、、、何年もそんな環境の中で過ごしてきました。(←私の勝手な思い込みだと思うけれど、その頃は本気で思ってました)
だから、その言葉をかけてもらえるということは、私にとっては大変光栄で喜ばしいことのはずだったんです。今の今まで、そう思ってました。
でも、こうして思い出して書き出してみたら、その言葉にはとても苦しい思い出がびっちり張り付いていたんですね。。。
そして、10歳頃の私は、どう頑張っても、その親の期待に応えられるような子にはなれなかった、なれないと思っていた。だけど、そう在れないと、私の存在価値は無い。だから、なんとかして取り繕おうと必死になって、何年も凌いできた。
そうか。その言葉は、そんな記憶の象徴だから、簡単に流すことが出来なかったんだ。
…明日は仕事なのに、涙が溢れて止まりません。
健気だったな、苦しかったんだな、よく凌いでこれたな。
今の自分の子どもと同じ年齢の頃です。。
こんな幼い子が、何年もそんな辛い思いをして毎日を過ごしてたなんて、胸が張り裂けそうに辛いです。
でも、今、一通り涙を流し切って、やっと、その感情を受け止めることが出来そうな気がしています。
今日は玄関と玄関周りを徹底的に掃いて拭いて磨いたんです。
無心で、というより、このことを気にかけながら。何か見えてくるかな、と思って。
そしたら、今、このタイミングで流れ込んできた。家族が寝静まった今だからこそのタイミングなのかな。
感情がグラングラン揺さぶられて整理出来ていませんが、これで全容が見えてきて、雲の間から光がさしてきた感覚があります。
冷静になってから、この言葉に対する感覚が昇華されるようにしっかり向き合いたいと思います。
有実さん、私が今後のごきげんな人生を送っていく中で向き合わなきゃいけなかった感覚に気づかせてくださり、ありがとうございました。
断捨離って神がかってるなぁ…
森信三さんの有名な言葉、
断捨離でも引用されることが多いかな。
人間は出逢うべき人には必ず逢える。一瞬遅からず一瞬早からず。
これって、人との出会いだけじゃなく、
気づきや、そして出来事にも通じると思うのだな。