難病キャラバン

亜空間花 その二 / 9

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土岐川祐 2024/01/16 (火) 13:16:24 修正 >> 8

病気のまま歳をとると、病気以外のことが精神衛生に良くない。私の場合は、いつ発病したかわからないのだけれど、周囲の理解度が皆無です。苦しさに絶えられないときはめそめそしたり、怒りで切れたり。今は「諦観」ですかね。私の生い立ちや手術歴、障がい者になってからの世間の扱い、誰かに分かってもらいたいと、多少なりとも思うことは、大抵信じてもらえない。結婚してから、ずっと、嫁ぎ先と実家と、双方の親姉妹などに混乱したり絶望したり、少しでも貯めたお金が全部、親と子供と親戚に消えたり、そういうことの積み重ねに「プツッ」と「切れた」感覚があります。

今年また災害があり、テレビなどでは追求しませんが、ネットだと、田舎の一軒のための橋とか電柱、壊れた道を補修することに反対する原論かが出てきます。

私はずっと転勤族で、義父母の「家」へのこだわりが理解できませんでした。「合理性」で、私は平地に移住するべきだと思っていたし今も思っています。でも、限界集落のお年寄りは、誰がなんと言っても、家から離れることに納得しません。限界集落の旧家、長男の嫁としては、やがては消える村であることが確定している僻地で、独特の空気の中、自分だけが冠婚葬祭に使える異分子のよそ者だということが、障がいの痛みになったと考えて宜しいかと思います。

でも、限界集落の人々は、自分たちの思い込みが、現代のコンプラからかけ離れていること知らない。「俺の家に住まわせてやってる」と恩着せがましい気持ばかり目立ちます。私はそれがイヤだったし我慢できなかったけど、ひろゆきや成田さんやほりえもんが説得できるかというと無理だと思う。

私は特定疾患なので、多分村ではかなりの噂になり続けている。義父が亡くなり、義母が施設に入ると、それなりに世代が変わり、それほどでも無くなっているかもしれないw 私たち夫婦は少しは平地に降りてきて、中古住宅を買いました。そして落ち着いた。

平地のアパートに引っ越せと、論客は展開するけれども、アパートに住む資金が無い。殆ど自給自足で、歳を重ねたら、安い年金を貯金して細々とやっている。農協と郵便局を頼りにしている、人口1000人の自治体。景気が良かったときは補助金をもらっては植林したり、しょぼい箱物を作って無駄遣い。それらが批判されているのも知らない。林業を知らないのに補助金を目当てに針葉樹を植え、手入れができず、生態系が壊れ、動物が畑を荒らす。

そういうことすべては住んでいる人の意識が生んだ結果だけれども、村民は、補助金をもらわないで自然林を残した人を「酒ばかり飲んで植林しなかった」と非難していました。根本的に「人が生きられる環境」について考えたことがありませんでした。どうして動物が降りてきて畑を荒らすようになったのか、知ろうとしないで、ただ、「悪さをする動物が増えた」と思っている。「補助金をもらう」ことに疑問がありませんでした。

村落における教育が進んでいけば良いのですが、そもそも、国の政策で、全国一律に針葉樹を植えたものが、今、かつて山にあった落葉樹を駆逐し、腐葉土の無い、動物の食べる木の実などが失われたのでした。そして今、針葉樹の代わりに「太陽光パネル」を置いている。化学薬品による地質汚染、木の伐採による自然の破壊、災害が起きると、危険なので安易には触れない。

山奥に住み、山奥で完結しているにもかかわらず、補助金はもらうのが当たり前で、自立する気もない。

村は道が一本しかないので…もちろんセンターラインもないので、過去何度も陸の孤島になりました。災害で取り残された「邪魔なお年寄りばかりの」集落に腹を立てても、何も変化しない。

植林、太陽光パネル、農地の補助整備、行政からのサービスは、結局、毎年定期的に農協と官公庁にお金を返却しなければならない。補助金をもらうことで自治体が借金だらけになり、最期は市町村合併により切り捨てられる。個人ではどうにもならないことに頭を悩ませて、それが病態を悪くさせるのでした。 

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